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「おへそ見せて」

臍はよく見るとまあまあキモい。足の小指も大概だけれど、実は臍もキモい。“臍”という字の右上がそもそも気持ち悪い。絶対に書きにくいし。


臍のことを考えると、いつもひいおばあちゃんを思い出す。私が小学1年生の頃、夜ごはんを食べている時にひいおばあちゃんは突然、「自分は臍が2つある」と言い出した。…いきなりなに?と思っている間に、ひいおばあちゃんは服をたくし上げて臍を見せてきた。私は、「わっ、ホントだあ!」と言った。言ったけど、ただ言った記憶しかない。言わないと、と思ったから言ったという覚えだけ。1つだとか2つだとか以前に、ひいおばあちゃんの臍を見た記憶は全く無い。臍を見せた(らしい)ひいおばあちゃんは、そのまま90歳らしいおぼつかない足取りでいつもの椅子がある隣の部屋に消えていった。ひいおばあちゃんは次の日、寝室で亡くなった。


あれは実は何かのメッセージだったのかな、と考える。死期を悟った猫が飼い主から離れていくみたいに、死期を悟った曾祖母は曾孫に「臍2つ」と言う隠語を使って別れの挨拶をしたんだろうか…。いやでも、そんなややこしいことをする意味は果たしてあるのか??たしかに当時の私は、ひいおばあちゃんに突然「もうすぐ死ぬからばいばい」みたいなことを言われても、よく分からずに聞き流していたかもしれない。死ぬ人を生で見たことがまだ無かったから、死とか多分あんまり理解してなかったし。その点、「臍2つ」と言われた方がスっと入ってくるしなにそれ?となる。インパクトもある。加えて、臍とかいう部位は割と盲点なので他の界隈とも被らなさそう。なるほどね〜なかなかよく考えられた隠語じゃん!

とにもかくにも私は、ひいおばあちゃんの臍の数を結局のところ知らない。家族の誰かしらに確認してみれば良いのかもしれないけれど、「ばあばって臍2つあったの?」がどうしても聞けなかった。今も聞けない。正直臍の数はかなり気になるところではあるけど、でも、ひいおばあちゃんとわたしの最後の奇妙な思い出を人に話してしまうと、ポポポッてなにかが消えちゃう気がして、そのなにかは手放したらダメな気がして、なんだか後ろ髪引かれる。あれ、もしかしてほんとに引いてますか、ばあば?


臍はキモいってさっき言ったけど、もしかしたら本当は不気味で怖いのかもしれない。ひいおばあちゃんとのあの会話が死と一緒に結び付いて怖い。体の中で起こっているその何もかもを収斂させた果てのように渦を巻く臍。この臍が私の中心にそっと付いている感じが怖い。わたしの臍は、お母さんの中でお母さんのお臍と繋がっていた。生きるために、栄養をもらうために。だけどそれは、わたしがお母さんの中から出てきた瞬間に呆気なくパチッと切られたらしい。死なないために繋がってたのに、生きてる証のオギャーっが響く中で臍を切る…?それって怖い。
なんかこれもう、死を意味する隠語に臍が使われるのってなんとなく最適解な気がしてきたな…


「臍2つ」の本当の意味を知らない人たちはきっとそのまま、知らないということすら知らないまま死んでいく。そんな人たちを横目に、わたしは何かの間違いで頭がおかしくなり誰かと結婚して、歳をとり、やがて曾孫ができる。かもしれない。


わたしは「臍2つ」の意味を知っている。ひょっとしたら、わたしと繋がりのある曾孫は本能的に「臍2つ」の意味を理解しているかもしれない。
そんな私がそんな曾孫に、「ばあばおへそ見せて」と言われたらじゃあこれは……



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