社会に揉まれる必要性
「あなたにとってお父さんはどんな存在ですか」と面接できかれた。
うちは両親が離婚してると述べてからその質問はナンセンスすぎて怒りと悲しみが込み上げた。
離れて暮らしているが、関係は良好ですと言った後にその質問を食らって、
どんな存在、、、、?そんなの考えたこともないし考えることなんてない。
もちろん関係なんて良好じゃないし
連絡しても帰ってこないし、会話もしようしてこない父親の存在意義はあるのか
面接でよく家族構成とか、親のこととかすごい聞くけど何が知りたいんだろうな
そんなことより目の前にいる私について関心を持ってもらっていいですか
そのあといつも言われるお母さん苦労なさったでしょうとか女手ひとつで、、とかもう心が痛い
そんな薄っぺらくて薄汚い言葉を発する為だけの質問なら意味あるのでしょうか。
父を何とも思っていないはずなのに聞かれた時涙目になったのは何故だろう。
何に悲しいのかいまだに分からないのに涙が出るのは何故だろう
だから自己分析もそこで止まってできなかったし
忘れたいことも思い出して分析して知らない大人に発表しなきゃいけない就活なんて気色悪いですね^^
汚い大人しかいない社会で揉まれる価値ってどこにあるのでしょうか。社会に出ようとしない人を痛い目で見る世の中がある限りこの循環は回ってずっと気持ち悪いんだろうなあ^^
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