卵焼き派閥
この話は私が小学4年生くらいの事だと記憶してる。
当時私が仲の良かった女の子は親同士も仲が良く、お互いの家で遊んだり、常に一緒にいた覚えがある。
今何をしてるのか。。私が引っ越してから疎遠になってしまった。
その頃遠足か何かでクラスで遠出をした時の話。
何処か場所は覚えてないが、公園のような場所のなだらかな丘でそれぞれ好きなように親が作ってくれたお弁当を食べる時間だった。
私は当たり前のようにその子と2人で隣同士で座り、お互いが持ってきたお弁当を食べ始めた。
すると2人のお弁当には卵焼きが共通してあり、その子は私に卵焼き交換しようよ!と言ってきた。私はいいよ〜と言いお互いの卵焼きを食べ比べたのだ。
しかし私はここでとてつもなく驚くのだ。
なぜかというと私の母の卵焼きは甘いのだ。
しっかり砂糖を入れるタイプで私はそれまでその甘い卵焼きの味しか知らなかった。無論、しょっぱい卵焼きなど存在する事すら知らなかったのである。
つまりその子の家の卵焼きはしょっぱい卵焼きだったのだ。
小学生の私はこのことを理解する頭が備わっていなかった為、特に何も考えずに
これ、面白い味がするね。あんまり美味しくない。と
クソガキである。
素直にも程がある。これ、まずいよ?と全く余計な事を、、と思うが、この当時、自分の事だからこそどういう考え方だったのか想像がつく。
私は私の考えが全て正しくて正解だと思っていたのだ。
もう一度言わせて欲しい。
クソガキである。
ひとりっ子で甘えられて育てられた幸せの環境こそが招いた悲劇である。
つまり、それ美味しくないよ??食べないほうがいいよ?と善意で言ってるのである。
怖い 怖すぎる。
そしてこの日、そんな事を言われたその子は深く傷ついたのだ。
でもその日私はそんな事を言った事すら1日も経てば忘れていて、言われた時の彼女の気持ちなど1ミリも考えなかったのだ。
しかし後日、私の母とその友達のお母さんからその事を聞かされた。彼女はその日お母さんにその事を泣きながら話したらしい。自分の大好きなお母さんが作る卵焼きが大好きだったから、それを馬鹿にされたのが悔しくて悲しかったそうだ。
当たり前である。私だって母の何かを他人に文句付けられたら悔しくてたまらない。
私はその話を聞いた時に、はっとさせられた。
すぐその子に謝りに行って本当にごめんねと2人で泣きながら抱き合った事を覚えてる。
20歳になった今でもこのことをずっと覚えているのだからその日の出来事は相当衝撃的だったのだろう。
わたしの考え方が全て変わった大切な日である。
卵焼きを自分で作るようになった今でも時々思い出すのだ。
他人の考え方や行動が自分にとってはありえない、考えられない。そういうことはよくあって、最近はそれによく動揺することも多い。
でもこの卵焼き派閥事件を機に、自分の持ってる当たり前も他人にとっては1意見であって、もしかしたらあり得ないと思われているかもしれないという事。
自分は自分、他人は他人。
少し寂しいような言い方に聞こえてしまうのだがこれは互いに尊重しあえるからこそ成り立つ言葉なのだと考えさせられる。
今私は「うまくいっている人の考え方 完全版」
という本を読んでいる。
安心してほしい。決してネズミ商法にはハマっていない。
この本はなんだか胡散臭いと思うだろう私が現に読むまで思っていたから。
でもここには、難しい事はとくになにも書いてはいなくて、ただ自分というものを強く持つためにどうするか。自分を大切にするにはどう考えるといいかが書かれている。
それらを読んでいたらふと、私の転機となったこの話を思い出したので書き出してみました。
自分と人との違いを見つけてその人と距離をとるより共通することを見つければ意外な一面を知れることも多いと学んだ私の小4時代の話でした。
(学ぶのが早すぎてそこから特に一度も人間関係に悩まずきてるのは事実)
(結局周りの人が良い人だらけだった)
最近はしょっぱい卵焼きも作って、美味しくなるための研究をしてます。だしとかの方がモテそうだしねハハ
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