人に興味を示すということ
よく就活先を決めた理由として見るもの
『今まで受けた面接で1番自分に興味を持ってくれたからです。』
なるほど。と就活生の私はメモをする。
可もなく不可もなく、双方に好印象だ。
テンプレートとして持っておこうと次にいつ開くかも分からないメモアプリに書き込む。
たしかに自分に興味を持ってもらえることは悪い気はしないな
でもそれは本当の興味関心なのかね(笑)
なんて捻くれ女の私は思ってしまうけど、
そういえば私に興味を持ってくれてる人っているんだっけ
と今日のことを洗い流すかのように顔を洗いながら考える。
親はまぁ興味はあるかと腑に落ちる
この世の8割くらいの親は子供に興味はあるだろう少なからず。興味を持っていない親がいるのならひとりひとりに問いただしたいものだ。
きっとその親は自分が結局好きなのだろう。親も人間であることは永遠のテーマだと世間を見渡すと感じる。
きっと私の母親は興味を持ってくれているだろう。
適度な興味だから私は母が好きだ。1番近いはずの存在でありながらなぜこうも親子というものはお互いの話をするのが難しいのだろう。これもまた永遠のテーマである。
父親は興味ゼロに近いだろう。しらんそんな事は今更興味を持たれても困るから無しだ。
次は今の彼氏かな
そろそろ1年の半分は交際という形で一緒にいるわけだが
彼は私に興味しかないだろう正直。惚気とかではなく私が恐らく理解するのが難しくて大変であるからだと思う。すまないとは思っている。
ただ、知られても良いと思えた男は片手に入るほどだから安心してるししていただきたい。彼はこれを読む事は無いだろうけれど(笑)
その分裏切られる事への恐怖を考えるのはいつもの私の悪い癖ではある。
安心に永遠はない
「今が楽しければいい」といつになったら思えるのか
私もその典型的大学生思考が喉から手が出るほどたまに稀に欲しくなる。
友人は私に興味があるのだろうか
これは少し怖い話で
それを怖くしたのは紛れもなくSNSであり
それを面白くするのもネットである
自分の1日を全て共有したがる人もいれば、1日の良いところだけを切り取って共有する人や、誰にも何も共有しない人。
「匂わせ」という言葉がスラングのように日本で使われるくらい当たり前に気付かぬうちに共有され、多くの人が見る世の中。
共有の仕方が皆違うことと同じように受け取り方も全く違うのが人である。
それは楽しくもあり、怖い世界である。
私への興味がどんな興味なのか私は知ることができない。
憶測や推測は人間の大好物であるから本質を見失う
それでも私や友人は共有をやめない。だからこそ繋がれる世界。広がる世の中。だから迷い、分からなくなる。
嫌なら見なきゃいいと書かれている炎上したコメント欄をよく見かけるけど、これこそ人間だなと思う。やめられないのだ見ることを。
でもそれは本当の興味じゃない。妬みや嫉妬、自分のため。
私はいつになったら見定められるのだろう。
大概はできるけれど、自分も同じことを人にしてしまうからか。
一時期論理的思考な本をよく読んでいた。いわゆる著者が読者にこうやって生きた方がいいよ!とかこういう思考に変えた方がいいよ!とかそんなものである。
クソ真面目な私はこういう本を読んでなるほどなるほどと納得させられていた。それほど自分が間違っていると思っていたし誰かに責任転換したかったのかも
でもこういう本はよっぽどそれにコンプレックスを持っていないと読んだって意味ない
私の場合は読むとああ自分はこれができてないな、だめだなと超ネガティブマインドフルネスアンハッピーになってしまうし多分殆どの人間なるでしょって思ったので捨てました
自分に興味を持ってくれる人なんているのかなと思いましたけど、たぶんいっちばん興味持ってるのは自分なんですよね(笑)
みんな自分大好きです。私も自分が好きです。好きでなければならないらしいです。クソ本によると
でもそれだけは正しいと21歳思います。
それでも私以外に私に興味を持ってくれる人を生涯裏切られない限り私も存分に興味を持ちたい。そういうことです。
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