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まだまだこれから

その瞬間に感じる全ての感覚や気持ちは
どう生きて来たかによってやはり
みんなそれぞれに違う。
何も同じなんてものはなくて
誰ともかえが効かないから
人との繋がりは唯一無二で
失うと苦しいのであって


その人と、どう生きたか

何を感じて何が幸せで
何に憤りを感じ、絶望し
どんな言葉を交わして
どんな景色を見たのか

その時の状況や時期背景
質量や、時間の多さによっても
感じるものは異なる。


誰でも等しく
自分の物差しでしかない。

どんなに、人のために生きたとて
この時代の日本に
人のために生きなければならない状況は
ほぼないに等しいのではと思ってしまう。

人のために何かをする時に
期待値をゼロにしておかなければ、
それは自分のためのものに裏返る。

またはどんなに自分のために生きたとて
人のためになってないと気づいた時
顧みず大切な人を知らぬ間に傷つけていたと知った時
もっと人のために生きたいと願うだろう。


どんなにわかったような気になっても
自分の中でしかない


自分の中の常識と無意識にでもできること
ずっと前から経験によって作られた概念
いろんな人の生き方に感化されてできた
やりたいことやチャレンジしたいこと
見たい景色。

全て自分の中から生まれたそれで
人にいつも接するでは、やっぱり綻びがうまれる。
かと言ってそれを抑えて人の顔色を伺ってばかりだとそれこそ壊れてしまう。


わたしは、小さい時から2.3年ほど前まで、
人の顔色を見て生きて来てとても苦しかった反動で
ここ1.2年は自分のことを1番に大切にしてあげようというフェーズにいた。

いまそのふたつのバランスをとって
この地球で“みんなが“心地よく暮らしていけるようなわたしのあり方を学んでいる途中。

枝ばかり見ないでその人はどんな山なのかを
見なければ、わたしが知りたいものは
いつまでも見えないのかと思って
できるだけ大きく見ようとしていた。
大きく見るということは、悪く言えば
大雑把になるということで

山をちゃんと知るためには
ちゃんと山を歩いて
どんな花が咲いててどんな木が育ち
どんな動物がいてそこからは何が見えるのかを
知ることをわたしは怠っていた。


せっかく制限があって
言葉や行動でしか表現できないものが多い世界で
それを怠って来たと思えば、やはり上手くいかないのは当たり前で。

わたしは、またここから学びを深めて
変わりたいと思う。


それほどに
大切にしたい人に出逢ってる


最高じゃないか人生。
まだまだ、これから。

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