吉祥寺

吉祥寺という街が好きだ。といっても世間一般で言われるオシャレなカフェだとかサブカルな感じにはあまり興味がなく、街の脆さが魅力的に思えてしまう。街の脆さというと、今後何十年と経ったとして果たして今と同じ機能を果たすことができるか、という意味での脆さである。

自分の地元を思い出すと、確か小学校一年生の頃、街にあった唯一の映画館が潰れた。最後にポニョを観に行ったが半分以上寝てしまったのを覚えている。街の娯楽がパチンコとイオンだけになり、パチンコさえもどんどん潰れていくのを尻目に僕は18歳のとき地元を出た。僕が生まれる前はもっと栄えていたそうだ。「私が子供の頃はいくつ映画館があって〜」という話は色んな大人から聞いた。吉祥寺を歩いていると、なんだかここは衰退する前の地元にそっくりなんじゃないかという気がするのである。

思うに生き残る街には絶対的な強さがある。その意味では東京の人口が減少したとて、丸の内や三大副都心は、ある時は経済の中心として、ある時は交通の要衝として機能し続けるだろう。だが吉祥寺はただなんとなく人が集まってなんとなく消費されているような感じがある。冒頭に述べたようなオシャレを求めるなら中目黒に行けばいいしサブカルを求めるなら下北沢や高円寺に行けばいい。どこも吉祥寺から30分あれば着く距離だろう。僕の地元もそういうふうに絶対的な強さがなかったから潰れていったんじゃないだろうか。ご当地グルメやご当地タレントを売りにしたところで、それ自体は特有かもしれないがそういうものの存在はどの街にだってあるだろう。夜になると道の汚れが目立ってくるサンロードを歩きながら、そんなことを考える。


ちょうど一年ほど前だろうか。サークルに行くのに吉祥寺を経由することが多かったので頻繁に吉祥寺には足を運んでいた。そこで夜9時くらいになるとサンロードのマックよりほんの少し北のあたりでオセロと将棋を用意して道ゆく人に声をかけて対局しているおっさんがいた。36歳らしい。当時の僕は暇を持て余していたのでそのおっさんに声をかけた。マスクもしておらず小汚い感じがしたがホームレスではないそうだ。病気で生活保護を受けているらしい。話は面白かった。僕が東大生だというと向こうも面白がってくれた。まず将棋をやった。将棋はアマチュア三段くらいの棋力を持っているので流石に負けなかった。でもオセロは負けた。その場所には常連さんがいて、僕より将棋の強いおじさんも何人かいた。そういう人たちとも対局してしっかり揉まれ、飽きるまで感想戦をやった。おじさんだけでなく僕と同じくらいの若い人もいた。渋谷のお菓子屋さんで働いているチョロメちゃんや高卒で経営者をやっているという徳ちゃんは何か勉強したわけではないと言っているのにオセロがめちゃくちゃ強かった。色んな人がいるものだな、と思いつつサークル帰りにその場所に寄るといつものように時間を潰したのだった。

ほどなくして、吉祥寺に行くことが減った。キャンパスが本郷に移り、勉強が忙しくなってサークルに行く機会も減ったからだ。あの場所に行くことも無くなった。数ヶ月ぶりに何かの用事で吉祥寺に行くといつもの時間になってもあの人たちはいなかった。警察に嫌味を言われたのだろうか。たまに吉祥寺に行くたび一応あの場所を確認するがそれ以来姿を見ることはなかった。

しかし先月だろうか。また久々に吉祥寺に行く用事がありサンロードを歩いていると、あの場所にはあのおっさんの代わりにギターの弾き語りをしている人がいた。陳腐な曲だな、と思いながらなんとなく周りを見渡すとあのおっさんらしき人が笑顔でその演奏を見ているではないか。しかし僕にはそれが本当に本人なのか自信がなかった。じっと見つめると向こうも僕のことを何か勘づいたような目で見返してきた。ような気がした。それでも声をかけるだけの自信はなく、そのまま家に帰ってしまった。このとき、僕と吉祥寺を結ぶ何かが途切れてしまった気がした。

ハーモニカ横丁の古びた飲み屋やヨドバシの裏の風俗街はこんなふうに街と人々を曖昧に結んでいて、その繋がりは何かのきっかけですぐに途切れていくのではないだろうか。そんな脆さがあるからこそ、僕は吉祥寺が大好きだ。

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