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大臣の戯れ 一

幾日か低く垂れこめた梅雨空が続いていた。それでも重い木組の軒の影になった廊下から見ると外は銀のように鈍い明りを放った。宮が湿気に折れやすい立烏帽子を気にしつつ手庇をしたのはその眩さの故だろう。無論夜を徹した僉議に潰えたためでもある。眼を屋内に戻すとさらに暗がりが深まったが突き当りの部屋から女が退いて出る姿は見えた。女もまた宮の姿を認めた。女は暫し行く先を決めかねるようなそぶりを見せたがすぐに心を決めて宮を待った。凛とした顔立ちだが女にも潰えの翳は見えた。
「ご苦労なことだ」
「もったいのうございます」
「またいつものお戯れか」
「そのようですわ」
宮と女房が言葉を交わすのは御殿に向かう廊下の片隅である。小雨は絶え間なく庇を叩く。色を失った庭で紫陽花のみが鮮やかな青で濡れている。
「今朝がたまで」
「ええ、つい先ほどお戻りに」
「姫様は」
「もうそれはぐっすりと眠られています」
君の身の回りを看る女房は大臣が御殿に戻るまでは傍に控えていなければならない。閨中の物音に耳をそばだてるのも務めである。
「激しいのだな」
「いやですわ、そんな」
宮の戯言に唐衣からぎぬの袖で口元を隠すが頬が耳まで染まるのは隠せない。とはいえ眼はさもうれしげに細まっている。好きものの性があからさまになる。明け方まで衣擦れと睦み合う男女の奏でる音曲を耳にし続けて女盛りの女房は熟柿のように蕩け堕ちかけていた。宮は女房のさまを心得て黙って微笑む。宮の得心を知ってか知らずか女は濡れた言葉を紡いだ。
「お傍にいて胸苦しくなるほどでした」
「それはお気の毒」
女房の眼が見開かれて揺れた。宮は影のように動いて女房の腰を引き寄せ口元を隠す袖の手を取った。女房は思いもよらぬ無作法によろめきながら顔を背けようとした。うなじが白かった。宮には流した眼が笑って見えた。
「あっ」
宮は逃れるいとまを与えずに女の口を己の口でふさいだ。男の腕に力がこもる。女が指を握り返す。厚い衣の下のきゃしゃな骨格が抱き寄せられてしなった。先に宮のくちびるを割って忍び入ったのは女房の濡れた舌である。
「いけませぬ」
糸を引きながら離したくちびるから静かな咎めの言葉が漏れる。
「そなたも熱い」
宮はさらに強く女を抱いた。手折れた花のように女房は宮にからだを預けた。舌を交わしつつもれる吐息はすでに閨の音色を奏でている。
「ああ」
宮は女房を抱きとめたまま敷居をまたぎ屏風の陰に入ると裳裾をたぐって二人の姿を周囲の目からすっかり隠した。宮の手指はすでにうちきをかき分けて単衣ひとえにふれている。ぐったりと頭を預けた女房を起こしてなお口を吸い舌をからませる。女の呻きが鼻にかかる。単衣に包まれた柔肌は夜を徹した務めのおかげでしっとりと汗ばんでいる。宮は差し入れた手のひらで柔乳を包む。薄茶の乳首がきりりと立ち上がる。うっとりと眼を閉じた女房がささやく。
「人がきます」
「大丈夫だ、まだ早い」
宮は女房の単衣をはだけ薄いふくらみの頂で小石のように固まった乳首をくわえた。女は眉をひそめて訴える。声が甘い。
「あっ、切のうございます」
そういいながら女房の手も宮の指貫さしぬきをくぐって下袴をさぐっている。忍び入った指先は早や男の逞しい含みを掻き撫でている。古い時代、二人のみの折りには女も生の己を偽らないのが嗜みだった。唐衣はすでに色鮮やかな褥となっている。女房は頤を立てて喉を見せ白蝋のような胸も腹も露わにしている。宮が伸しかかった。からだは夜通しの夢見ですでにしとどに潤っている。
「小雨のはずが」
「いやですわ」
宮を弄う指先が手引きする。男の耳元で女房のくちびるが僅かに動く。ひかがみをそっと浮かせた。女房の両の手は宙を泳いで形のない何ものかをつかもうとしていた。指先が宮の頬をなぞる。見下ろせばすでに女は募る楽欲に惑ってくちびるを震わせている。
「ほしいか」
「くださいませ」
「うむ」
宮の疲摩羅が肉厚の女房を貫く。声にならない喘ぎと深い吐息。満たされた安堵と満ち切れぬ焦燥。一つになろうと手足が絡まる。せわしなく口を吸いあう。炊き込めた香に男女の匂いが混じる。男の息は荒くなった。
「夜を徹してか」
「絶倫でいらっしゃいますから」
揺すられて女の声は切れ切れになる。追い込まれながらも台詞に趣向を凝らして目合いを彩るあたりがいかにも馴染らしい。
「姫君も応じたか」
「存じませぬ」
吐き捨てるような調子が交って宮はほくそ笑んだ。君と女房が戯れの果て女同士の深い仲になるのは常なること、ただ悋気の的が大臣ではあまりに遣る瀬無い。
「耳をふさぎとうございました」
「何に」
「雁が音」
「鳴いたか」
かんばせもいとけなき姫君がかような悪戯たはしごとをなさるとは、大臣の仕込みも常ならぬあさましき熱の入りようよ、宮は呆れた。淫ら言葉で憂さを晴らす女房が哀れでもあった。けだし行き処のない悋気は徒らごとの焔の焚付にはなる。
「災難だったな」
「いえ、あ、お務めですから、ああ」
すでに女は慎みを打ち棄てて色欲に身を委ね、膝を立て東雲の夜啼鳥の呼び音を振り払うようにしきりに鳴いた。ふれあう肉の淫らな音色が鳴声を彩る。二人は唐衣の海で溺れるように蠢いた。汗の匂いが濃くなった。
「わたしでは力不足かな」
「そんな、滅相もない、あ、いい、そこが」
「これか」
「ううん、そう、そこ、あっ」
白い足が男の背で固く交わった。女は眉を歪めくちびるをかんだ。
「それっ」
「あっ、いくっ」
最後は低く抑えた声音で鳴くとぶるっと震えて首をがくりと落とした。女房は果てて鎮まった。胸元に伏せて夢心地の喃語で漂う痩肉を掻き抱きながら宮はどう手を打つべきかを思案していた。

宮が仕える中将の気色がこのところ穏やかならぬのは政が本意無きことに加えてこの大臣の戯れのせいでもあった。姫君と中将の仲を知らぬはずはないのに大臣はことごとに対を訪っては一夜を姫君のもとで過ごした。操があるとはいえ手練の大臣にかかれば年若い君の心を揺らがせるのは造作もないことだった。女房の訴えた通り、此方寄りてこのところの姫君の気色は肉叢の奥から立ち昇る咽るような女の匂いと潤いに満ちていた。幼き顔立ちだけにそのみだらがましさには女房すらも心惑わされた。奥には穏やかならぬ気配が漂った。

「思案でございますか」
胸にうずもれた女房が不満げに鼻を鳴らした。指先で宮の厚い胸から浮かぶ骨の形を丹念にたどっている。
「いろいろとな」
他の女おなご
「虚けたことを」
「よいのです、ひとときの御慰みで」
「申すな、為む方無きことを」
恨みなくひたぶるお慕い申すわたし重い女ね
濃き情も愛いもの重い女もいいものだ
憎きお方悪い人
くちびるがふれあうと再び熱き情けが通い合って身内で雄叫びを上げる。女の眼が濡れ息が濃くなり頬にさっと朱が差した。
「ほしゅうございます」
すがる背中を宮は抱き締めて逞しい腰でまた柔肉の股を割った。

続く

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