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季節はいつだって青信号だ

昔の恋人が夢に出てきた。わたしはめったに夢を見ないか、あるいは覚えていないので、都合、2023年の初夢ということになる。

場所はどこかのレストランで、相手はわたしの前で幸せそうにフォークを口に運んでいて、けれどわたしは二人の物語がとっくに終わっていることを知っていた。皿の上から味のしない晩餐をけずりとっていくわたしを、相手は笑顔で見つめているのだった。

夢であるという自覚こそなかったが、とにかくこれを終わらせなければならない、と思った。思ったままになにか、ぎざぎざの言葉を相手にぶつけた。相手はとても傷ついた顔をした。それはかつて別れ際に見たのと同じ表情だった。

人を傷つけるのは苦手だ、傷つけられるよりもずっと。それは優しさによるものではなくて、自分のなかに棲みついている「人を傷つけうる自分」という存在が怖くて仕方ないからだ。もとよりわたしの居場所ではないところにあっても、そいつがわたしの生きる場所を奪うような気がした。どうにも息苦しくなって、店を飛び出した。

信号が全部青だった。たぶん、雨上がりだったと思う。路面に青いひかりがやけに反射していたのを覚えている。
周りにはわたしのほかに誰もいなくて、ただまっすぐな夜道だけがのびていて、ひたすらに進むことしかできないのだった。

色なんてどうでも良くて、ただ、あ、つけっぱなしだ、と思った。青もそうじゃないのも、かたっぱしから、街じゅうの電気を消しながら歩いた。

目的地は決まっていた。夜なのに煌々と明かりのついている古本屋に、蛾みたいに吸い寄せられる。つけっぱなしの街のなかで、その店だけはつけっぱなしじゃないのだった。
しばらく棚を物色したのち、もう持っている漫画を1冊、もう持っているなと思いながら買い求めた。表紙を撫でるとなぜか、家の本棚にあるそれとは違って、パピルスみたいな紙が使われていた。

古本屋であるのにレジでバーコードを見せようと、漫画を裏返したところで目が覚めた。
起きるつもりでいた時間を7分過ぎていたけれど、布団の中からもぞもぞと手を伸ばしてiPhoneをつかみ、LINEを開いた。「た」の行から、夢に出てきた相手の名前を探り当てる。プロフィール画像が更新されていた。わたしの知っている人が、わたしの知らないダウンジャケットを着て、わたしの知っている景色のなかでピースサインをして、わたしの知らない季節を過ごしていた。

しばらく起きる気になれずにぎりぎりまで布団にくるまって、それから急いで支度をして、家を飛び出した。

自転車を漕ぎだして、最初の信号は赤だった。慌てているのになぜかすこし、その色に安堵している自分がいた。

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