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第一弾キャラデザシート

おはようございます、AltOfだよ!

昨日は毎年一年の中では一番絶望する日だったんだけど、自分を甘やかしつつ予定だけ済ませた後は優先すべきタスクを投げ出して絵を描いていたよ!

うーん、久しぶりに長い時間キャンバスに向かった気がする。

やっとできた…やっとできた!!!

サイズバランスも色も統一調整しないで完走とした第一弾

年に一回もまともに1枚を仕上げられない自分が目的を持った1枚を仕上げました、やっと!!!
もしかして、こんな長期目標に着実に踏み出して一枚目仕上げた結果をだすのって初めてだったりして…。

とか言いつつですね、目標一枚に対して完全完走するまえに修正というか改善点沢山見つけちゃって、もうこのテンプレートからやり直しだって思い始めて駆け足でバランス調整せず終わらせてしまったんだ。

は~~~つかれた。
後半3日前あたりから、投げ出しかける事億万回。
「あ~~やっぱり向いてねぇな。モチベどこいった~」って正直思いながら描いてた、塗ってた、仕上げていた。創作ってマラソンに近いよね。体力が無いなぁ~。

でも敢て一枚目をこの猫科(主なモチーフはピューマ)な生物にして本当に良かった。何でこれ描いてるんだっけ?って思った時に、自分の中で明確な理由と目的につながるので、ここからスタートして大正解だ。

今日はその…、この?キャラクターが生まれた話と今後の指針について自分が投げ出したり方向性に迷いだした時の為に記録として綴っておこうと思う。

このキャラクターは昨年の夏、Live2dを学ぶためにテストモデルのキャラクターとして考えた「碧ちゃん」だ。
単に自分がBlue系色が好みなので、それに因んで名付けただけで特に深い意味はない。
今回は、このキャラクター「碧ちゃん」の設定がグダグダでスタートしていたために詳細を覚えておらず、
改めて描きだして作り直そうとバージョンアップするために「キャラクターデザインシート」を描いた。

キャラクターデザインシートの全体デザインについてもテンプレート化して今後使いまわしていくつもりで考えながらの作成だ。
Live2dで動かすためのイラストは、これを元の原画としてデフォルメを加えて作成していく予定。

当時、どんなキャラクターをテスト用にしようかと考えた際に、その時に家族の中で流行っていた顔の特徴で占う動物診断で自分がその占い的なもので「豹顔」と出たのが一つのきっかけで思いついた事だった。自分の顔が目つきが鋭く濃いのでな、黙ってるだけで厳つさマシマシタイプの人間だ。…ウサギとか蛙顔は癒し系で羨ましいね。

そして、単純にLive2dで美少女キャラや美男子キャラが溢れているから、自分の得意分野ではない絵を描くのも無理があってつまらないと考えたのも理由の一つにある。それでも今後、人型ももちろん描きだしていくつもりはあるけれども。

あとは家族に大の猫好きが居るため、その影響は大いにあった。
自分は猫が好きかって言われたら海洋生物の方が好きだし、哺乳類なら鯱が好きなんだけどね。

自分のアイコンとして動かしたりしていくキャラクターなら、先日の日記で話した「ナプスタブルーク」の様なフォルムのキャラクターが良いし、
正直なところ丸とか四角とかに目がついてる程度のキャラクターで調度いいくらいのつもり…というのが本音だったりする。

本来はUndertaleポジションで言うところのチビカビ的な位置づけで居たいのだ。

ただ、今回は「最終目的がデータ販売に挑戦する事」で、途中で投げ出したり折れるわけにはいかない。もう何度も匙投げようとしたけど!
これで食っていこうとかそういうわけでも無いので、志は正直中途半端だ。ただただ、何もしないで過ごしている姿を入院中の家族に見せたくないために動き出したのが理由の大半だったりするからな…本業として働くなら雇用保険のあるところで安定した稼ぎが欲しいと思ってる。

昨年の8月28日で綴った碧ちゃんの日記でネタにしたんだけど、このキャラ一匹描いてる最中に珍しく、家族から絵面について指導されているんだよね。
普段、自分が描いてるモノには我関せずの家族なんだけど、その時はあーだこーだ言われた記憶がある。猫大好き星人の家族なので、猫科へのディティールにはとことんこだわりがあるのだろう。そういうご指導は大変ありがたいので、助言をもらいながら楽しく作成していた記憶がある。つまり思い入れのあるキャラクターだったりするんだ。

家族に「凶暴だが、所詮は餌と家を与えれば居座る猫」と評言された事がこれまでに何度もあって、何となく猫科を自分の代理キャラに置くというのは自虐的で何だかなぁ…と思いつつ。
でも、今となってはこうした複雑な気持ちも含めて創りあがったキャラを動かして行った方が、投げ出しそうになった時の回避モチベにもつながってるところがあるので良しとして前向きに作成中だ。

モチーフはピューマや豹という事になるんだけど、なぜ「豹です」「ピューマです」と言わないのか?
それは他人からすると些細な事ながら個人的に譲れない思いがあったりするからだ。

あくまでも「碧ちゃんは碧ちゃん」であり英名は「BaltOf」だ。説明をする上で「〇〇科的な生き物である」と言った話ではピューマだのとモチーフにした対象の名詞を出してはいるものの、碧ちゃんはピューマでも豹でもない。もしこれをピューマだと言い張る自分が居たならば違和感が拭えない。

これはいつもキャラクターを考える時には譲れない設定で個人的な拘りだ。

豹やピューマが大好きな人からすれば、豹は猫科ヒョウ亜科でピューマは猫科猫亜科だ、一緒にするなと思うだろう。ヒョウ、ライオン、ジャガー、トラなんかはヒョウ亜科となる。一方、ピューマは猫属側に近い生物だ。

家ネコが好きだからピューマも好きとは限らないし、その生き物たちの属性にはそれぞれに特徴的な魅力がある。

だからそれを忠実に落とし込めていないキャラクターを「これは〇〇です。」と言い切る事は自分にはできないんだよね。
自分のキャラクターの創造はいつだってファンタジーだ。ピューマにもヒョウにも敬意を払うと属性はこれですと言い切れない。
だから、これはピューマでも豹でもないという事になる。(さて、AltOfが妙に拘りのある超お面倒な奴だって、解ってくれたかな?)

ついでだから、こうした動物キャラを描いているとしばしば話題にあがるらしい「AltOfはケモナーなのか問題」についても公に言及しておこう。自分が動物モチーフを描いていると、友人からの影響で好みを合わせてるんじゃないかと度々疑われてる感もあったので、その辺もきちんと公に自己紹介だ。

 今持つ基本的な思考は昔も今もずっと変わらずに来ているので多分この先もずっとこの考えだと思うよ!って言う自分なりの考え方と出力する絵につながる話もついでにしておこうと思う。

まず、「ケモナー」と言う言葉を知ったのは数年前なので、自分は足を踏み入れたことも無ければ言葉を知った今でも勝手が判らないんだ。ただ、住み分けがきちんとなされているカテゴリーだという理解をしているので、その枠に自分が当てはまるのかどうかという点を話そうと思う。

真のケモナーから「ケモナーとは」という解説を聞いたり、ケモナーにまつわる当人の好みの話などを聞いて自分なりに咀嚼した結果は「自分はケモナーじゃないな。」という事が判っている。猫耳娘も馬耳娘も空想キャラとして可愛いんじゃないかな?と思える側の人間だ。

ケモナーというカテゴリについて批判的に思う人も世の中には居るらしいんだけど、自分の中にそういった思いは全く無い。むしろ楽しそうな世界だし、描かれているキャラが可愛いかったりカッコ良かったりで良い世界観だと思う。それはどんなカテゴリーにも当てはめられる良さとして肯定的に見ている。逆になんで否定する人が居るのかが全く理解できない。

ではケモナーじゃないのに、なんで人間より動物モチーフにした絵を描くのかって話に進めるんだけど、そんな人たくさんいるだろ。ジブリ映画だって、鳥山明だって描くだろ。制限かけて描かない方が無理あるんじゃないか?と、言うのが即答としてあがるのだが、少し深く自分の事を考えてみた時に面白い発見があったから引き続き語ろうと思う。

もともと学生のころから飼っていたペットを描くのは好きだったんだ。それをデフォルメキャラにしたりして描いて遊んだりする事もあった。
人間やアニメキャラを描く事もあったけど、多くの場合は友達の好きなアイドルのデフォルメキャラを描くだとか、クラスの人の似顔絵を描くとか他人の為に描く事が多かった。

自発的に描く事が多かったイラストは人よりも圧倒的に動物モチーフの生物や空想の生物、映画に出てくるファンタジーなキャラクター、乗り物が多かった記憶だ。

単に動物が好きなのかと言われると、それも微妙だ。一通りメジャーな生き物の飼育歴はあって、今も少し変わった生物を飼ってはいるから、生物への関心は高い方だとは思う…。

でも一般的な動物好きと会話をしてもさほどに盛り上がらないあたり、自分はその枠の動物好き人間じゃないのだろうなと思っている。コシダカウニとか好きなんだけど、これ一般的な動物好きとはちょっと違うよね…。

大人になった今改めて考えてみたんだけど、人間を描いていてもあまり楽しめない理由が「描くときはどうしても人間の見た目を良く描く。それがあんまり楽しくない。」というのが大きいのかなと言う結論だった。

「男らしさ」「女らしさ」という枠に収まった考え方が、自分はどうも苦手だ。それは考え方だけに留まらず自分自身が性に合った見た目をしていないからなのかもしれない。

もちろん、理解はできるし異性の特色に自分にはマネもでき無い憧れを抱く事もあったりするよ。否定的な思いがあるわけじゃない事を理解してほしい。理想の顔立ちや好みだってあるし、人間の見た目が良いものとはどのような黄金比であるかという見方もできるよ。美しい物は美しいと思う。ただ、その「見た目だけ」の話なら動物にも当てはめられて同等に考えていられるのだけど、人間の場合はそこからつながる多くのモノゴトに目を向ける事になるのが苦手なんだ。

例えば、男だって可愛い物を愛でてホンワカ癒されたり、感動する映画でわんわん泣いたって許されるべきだし、女だって格闘の道で相手をボコボコにして強者を目指して稼ぎながら可愛い男を養ったりしたって良いと思うんだよね。でもなぜかそういった性別に囚われない個人の自由が、あまり自由じゃないのが人間社会だ。

男だから男らしくありたい、女だから女らしくありたいと努める事は個々の自由だと思うし、目指す姿がある事は素晴らしい思想だと思う。
けれど、自分本来の願いを押し殺して生まれ持った性別らしくあろうとすると必ず無理が出るのに、多くの人って無理をして他人である相手にもそれを強いるんだ。でもそれが世の中の普通なんだよね。

ジェンダーレスって言葉があるけれど、あれに理解を示す公言やあれに自分を当てはめてその枠に収まろうとする考え方も自分には理解ができない。白か黒かの世界じゃないはずだよ、枠って考え方が自分には息苦しく思う。

性格や思考回路は人それぞれだ、枠に当てはめて考えようとするから苦しい思いをする。人間の絵を描くときに筋肉質のガタイが良い体格の男だとか、曲線美のある女だとか、どうしても多くの人の理想を落とし込もうとした時に出てくるのが「性別に合ったそれらしさ」になってしまう。

それについて否定はしない、それで完成した絵を見てカッコいい美しいと魅力に思う事は自分だってある。描く人間は「こうあるべきなんだ、こうあってほしい」という人間の理想を描きだし、それを見た賛同者が集い価値を支払う。多くの人にとって魅力的な人間の理想像を出力していく事は、ビジネスとして売れる商品を創造できるという事なのだから、収入を得たい描き手は率先してそれをするべきなんだとも思っている。
需要を見つけ出し、それにそって描き出すことは仕事上できるにはできるのだが…正直なところあんまり楽しくない。

考えながら理想の人間を描きだそうとするとき、自分の場合はそこから派生して人間社会の大変さに思いを走らせてしまうところが強くある。それが、どうにも楽しく描けない理由…というところだろう。

人間社会にうんざりしているからこそ、亜人や何かの動物の様な姿をした比較をするのが馬鹿らしくなるようなそれぞれにバックグラウンドが確立した世界観のファンタジーな生物を描きだしたくなる。

自分と同様にオンライン上くらいは人間でない生物で在りたいという人も少ないながら居るんじゃなかろうかという希望も含めて、自分が出力できる生物をキャラクターとして落とし込んでいっているわけだ。それが自分の中でのベースにあるモチベーションなんだと思う。

ただ、AltOfはネット上で絵を使い人とコミュニケーションがしたいわけじゃないので、時々売り出すことも考えながら一方的に自己満足の出力をばらまくだけのつもりだ。動物モチーフキャラを描く、或いはそのカテゴリが大好きな人たちと友達になって仲良くなって、キャッキャウフフしたい訳ではない。

動物社会にだって、見た目ステータスの競争は存在する。天性の美しい飾り羽でイージーモードに生涯を終える鳥もいれば、たまたま生まれたコミュニティの中で少し体格が小さかっただけで同族に襲われて傷つき早くに命を落とす魚もいる。ただ、人間社会と大きく違うなと感じるところは「運」さえ良ければ、個が前向きに生涯を全うし終える事が出来るという点だと思う。餌が豊富な場所に行きつければ、自分が個としてプライドを保ったまま生き延びる事ができる。運でもなんでも生活環境さえ整っていれば前向きに生きる事が可能なのだ。なんて厳しくも羨ましい世界なんだろうか。

一方人間社会はどうだ、周りが羨む美しい恋人を得て安定した収入の生活基盤が整っていても満足できず、周囲をけん制しても得るモノなんてたかが知れているにも関わらず他者にマウントをかけ続ける。通貨と言う概念も非常に厄介だ。金を信仰し続けている限り欲は天井知らずだし、人間で居る限りその呪縛から逃れる事はまず困難だ。

天性の見た目や能力だけにとどまらず、成長するにつれ得た地位も資産も人脈も環境も…持ち物1つだって比較対象が多すぎて本当にキリがない。求めるモノを手に入れても尚、往々にして満足することができないまま死んでいくのが人間だ。

割と好物一つで怒りも治まる自分はめちゃくちゃ単純でコスパのイイ人間なのかもしれないが、それでもやっぱり人間は大変だ。

つまり、その人間社会のマウントに直結する入口みたいな「人間の見た目を良く描こうとする行為」が自分にとってはなかなかしんどい作業なんだなという事なのだ。未来に無数の道がある子供を描くのは楽しいと感じるのはそこに由来しているんだろうなという自覚もある。

性的魅力を感じさせるケモノや人間を描けるかどうかは個人的にその問題の枠にぴったりと収まる話だ。どちらかと言うと関わりたい相手に対して性格(思考・思想)や価値観、能力といった、表面(絵)的に表しづらい部分を大重要視している自分には「見て取れるセクシャリティな魅力への拘りが優先度最下位」の為に描けないのを自覚している。

ニュートラルな雰囲気の獣人や亜人を描くのは楽しいという気持ちはここにつながっているという結論だ。様々な動物モチーフであったり、未知なる生物で表現する場合には基本的に各キャラのバックグラウンド、価値観が異なるのが当たり前だというベース思考をパッと絵を見た相手に一瞬で伝える事が出来る表現方法の一つだと思う。

各動物はそれぞれに生まれ持った身体的特徴を個性として受け入れてもらえる。「人間」という小さなカテゴリ内で目が二重で彫りがある方が可愛いだとか、身長が高くて足は長い方が恰好が良いだとか、そんな「どんぐりの背比べ」が馬鹿らしく感じるようになるくらい「そもそもの生きる世界線が違う」事を納得してくれる人が多いと思うから、いろいろな動物モチーフで描きたくなる。「自身の好み」で収まる話で済むなら各個人の自由で良いんだけど、人間って他人の見た目を「否定」や「侮辱」までするのが本当に理解できないんだ。聞いていて、本当に耳が頭が痛くなるから自分にはしんどい。誤解はしないでほしい、博愛主義の聖人みたいな性格が良い人の考え方から思ってる事なんじゃない。親や親族が超絶ナルシストだったために、自分の中にも恐らく人を見た目で優劣判断している所があるんだろうなという激しい自己嫌悪と気持ち悪さでこうした考えに至っているんだと思う。絵を描くときくらい、そういう思考回路から自分を引き裂きたいという強い思いが根底にあるような気がしている。

ちなみに自発的に描きたくないだけであって、どんなカテゴリであれ頼まれれば描く事は可能だ。細かい設定があればあるほど、オーダーと確認作業ができればできるほど、「忠実に作業する」という流れで完走することはできる。まぁ、画力として他人から依頼されるような機会は無いだろうし、受けるつもりも今のところ無いがな。

そんなわけで、絵を描くうえでなかなかに苦労しそうな問題を抱えている自分の話を公にしてみたが、どうだろうか?
Live2dは動かす人によって個性が生まれるため、素晴らしい世界に出会えたなと思っている所だ。
いつか誰か自分の絵に内面個性と言う魂を与えてくれてオンライン生活を楽しんでくれる人が出て来てくれたら嬉しいなぁ~!くらいのつもりで、やる気あるのか?くらいのスピード感で進めていこうと思うんだ。

今日も読んでくれてThanks!

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最後に自分ごと。

素直に「たった今思ってることをマーライオン形式で吐き出します。」ので、朝から気分を害したくない人は読まないようにね。

思い当たる事が多すぎて、完全に受け止めるしかできない状態とそこまで何がどうなって…と思い当たらなくて、叶うなら理由を聞いて誤解があるならそれを解きたい。
と思う気持ちが50:50…いや、120:120で身動きが取れない。

朝いつも通りSNS開いてみて回っていたら友人の一人が自分の元から離れていってしまった…ようだ。

その理由は、怒っているのかもしれないし、嫌っているのかもしれないし、うんざりしているのかもしれない。

見方を変えれば、こちらを嫌っているわけではなく、自身の問題に直面しているだけなのかもしれないし、距離を取っている期間なだけでこちらに何か思う程の理由は無いのかもしれない。

とはいえ、何かしらこちらに強く思う事があっての行動だろうと思ってる。いつもならば、本心は誤解があるならばそれを解きたいと思って即時行動にうつすし、仲良く居たい。それが本心なのだけど、今それができない。だから、noteにだけ思う事を残しておく。

行動に出せないその理由は、とにもかくにも自分のSNS発信内容が自分でもうんざりするような内容が多く、つながったところで友人にとって自分の存在は何のメリットもない状態だからだ。メリットうんぬんと言うより、もう自分の存在が今はデメリットである事しか想像できない。

ただでさえ、友だちなんて要らんという人にとって、現状の自分はどう考えても糞以下の存在だろうなという自覚がある。でもそういった自分の状況を覆い隠しネット上で周りに配慮できるほど、自分の方は今安定していない。

友人に何かをせっかく教えてもらっても、確認したつもりが理解しきれていなかったり、出来ていなかったり、約束してもタスクを完走できず後回しなってしまったりする。日々の迫るタスクを9割こなして、自分自身を失わないようにすることで精いっぱいなところがある。

まさにリアルの方の人間関係やタスク量にうんざりして発狂したい気持ちを発信していたりする状況だ。水に流せるだけ糞の方がマシだろ?

もしかすると、もっと早くから縁を切りたいと思っていたのを、向こうはずるずると我慢していたのかもしれない。そんな中で自分が度々声をかけてしまって友人と言う概念に縛り付けてしまっていたのかもしれない。もう長い間、本当に無理をして「友人」を装って自分に素晴らしい時間を贈り続けてくれていたのかもしれない。いや、そもそも自分の存在なんか一切関係なくて、友人自身が今大変で、自分の事がしんどくてオーバーフローしている所なのかもしれない。

理由は相手の本心を話してくれない限りこちらは知る由もないし、勝手な憶測で決めつけたくはないから、本当は聞いてみたいけど本心を尋ねる事自体が正しい事なのかいつも自分に問いかける。離れたいと思うから離れた、それ以上それ以下でも無い事に何を質問するんだと自問する。…今は何より聞ける状態な自分ではないので、そもそも行動する資格が無い。

前にメリットがあるから、自分とつながりがあるんだって言ってくれたことがあったんだ、まさにそれだよね。今、自分がその「メリット」を全く提供できる気がしない状態で自分は自分にとって良い友人と関っていたいだなんて我儘が過ぎるんだ。

自分が友人の尊厳を傷つけるような言動をしたつもりは一切ないので、そういった理由で怒らせた可能性は予想できないんだけど、もうそれその感覚自体が理由な可能性だってある。何か地雷を踏みぬいたんだったら直せるところ直して仲良く居たいのが本心だ、それくらい大切な友人の一人なのは今も変わらない。

でも、ここ以上これ以上ではこの話を綴る事はもうできないな。
直接に連絡が取れるかの確認すらしていない。なぜなら声をかけた先に話進める資格が自分には何も無い。身動きが取れないので、大人しくする。

無理だと思って嫌になった今、無理をせず離れてくれた事に感謝するよ。
いつも通りっちゃいつも通りな事も、わざわざ昨日という日を外して行動してくれたのか?の事も、変わらずにいてくれている事に感謝する。

だから、こっちはブロックもしないし、嫌いじゃないし、むしろ仲良く居たい。
また、仲良くなれるなら仲良くしたいと思ってそのままでいるよ。

何か嫌な思いをさせていたら本当にごめん、でも声をかけても何のメリットも提供でき無くなってる今、自分が出来る事がもう何もないや。

今自分から直接何かを話したところで、自分の話す言葉やその内容にその説得力を持たせる自信もない。
仲良くなった先、楽しい時間を提供できる自信はいつも以上に何もない、というか今他者にとって自分に関わるメリットがないだろうな。

無理をし続けないでいてくれてありがとう。
創造人として、人として、学ぶことが多かったから尊敬してるよ、今でもね。
こちらが友人の感覚や思想を良いとすれば、それは友人にとって長い間負担になってしまってたのかもしれない。
自分にとってその友人は、生きる上で学びのある考え方を持っている人だし、想像し生み出す力を持ってる人だと思うし、貰った時間はどれも幸せだったと思ってる。
「友人」という言葉で表現することが多かったけど、大枠で捉えて人生のなかで知り合えたことに感謝する人間の一人だ、それは今後も一生変わらない。

自分の人間関係の修復に努める時間ももう限られたものとなってしまった、これは少し…辛いものだな。今日は書類申請の違う病院に行かねばならない…。

話したい事があっても伝えたい事があっても、時間って必要なんだと今改めて思った。

今は、自分の大事な人間関係を維持したいエゴを貫く事もできないや…。
そもそも、そのエゴを押し通そうという行為自体が、友人にとって負担になる望まない行為である可能性が大いにあるだろうという考えもある。

何よりも今の自分の状況下に同情だけで関わろうとしてくれる可能性がある優しい人間に、これ以上何かを話す事をしてはいけない。

叶うなら、自分と仲良くすることでメリットがあると思い、それを理由にまた関わりたくなった時には声をかけてほしいなと思う。

その時は間違いなく歓迎するから。

長い間、仲良くしてくれて本当に有難う。1番しんどかった時、本当に救われたんだ。
あの時は本当に驚いたんだ。まさか声をかけてくれると思っていなかったんだ。
話を聞いてくれたあの時間は大きな支えになって今も前を向いていられている。残り5年か、10年か?間違いなく予定が早まったけど判らないその猶予。前を向いて過ごすと早くに気持ちを切り替えられたのは友人が支えてくれたその時間があったからこそだと思っているよ。

同時に、家族が倒れて、それがどこまで自分の責任なのかと考えだした時、自分がどう壊れていくか判らなかったから、先々友人を傷つけたり不快な思いにならない様に予め自分の状況を話した方がいいかと思って話した事だったけど、今思えば話さなけれな負担をかけず無理をさせずにすんだのかなと少し後悔もしているんだ。

こちらに多く配慮して自分の思想や価値観、状態を犠牲にして合わせてくれていたんだろうなと思う。

本当に有難う。