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社会関係資本と弱者

Good Morning Alps!
おはよう伊那谷。
緑生い茂っていた草原が刈られ、巨大マシュマロが取り残される季節。

2024年5月27日 月曜日(だが今日ではない)

先日聞いたポッドキャストで語られていた「金融資産だけでなく社会関係資本も大事」という話をふたたび。

都市では私的な困りごとを金銭で解決することができた。Uberやベビーシッター、家事代行や夜間保育、訪問型の病児保育など、登録も申し込みもオンライン完結の仕組みが多いので利用ハードルが低い。そして何より、私的な困りごとを「仕事」として依頼できるのは精神的にも負担が少ない(と思っていた)。

たとえば子育て。ワンオペの過酷さや都会の「孤育て」に対して、「子どもは社会全体で育てるもの」という心強いメッセージがよく叫ばれている。そうそう、あれだ、『おおかみ子どもの〜』のお母さん大変そうだったもんな。

しかし実際に地方に移住してみると、気軽に利用できるサービスは本当に少ないし、使えても不便なものが多い。人が少ない、家が密集していない、三世代同居の家も多い、など、商業的な子育て支援サービスはビジネスとして成立しにくい。東京都内だと体感で三歩ごとに出合うスタバも、ビジネスとして成立する見込みがない場所には絶対に出店しないのと同じだ(しらんけど)。

地方に移住すると、都市ではお金でクリアしてきたことが難しくなる。子育てを応援したいと思っている人は多い(と思う)し、親切な人、おせっかいを焼きたがる人もいる。そこは人と人、私的な困りごとを他人に委ねられるスキルが必要になる。その一方で、契約もなく簡単に委ねられるものだろうかとも思う。保育園や学校のようにその道のプロが仕事として行うのとは違う、「うちの子とまとめて見ておくから大丈夫」という、人と人、100%厚意によるサポートに対して大切なものから手を離せるかどうか。心配して声をかけてもらえること、遠慮なくその声に委ねられること、サポートの後に続いていく関係を大切にできること、そのすべては無料でも精神的なコストはかかる。

社会関係資本は自分で積み立ててストックしておく必要がある。ひょっとしたらお金を稼ぐよりも難しいのではと思う。すべての人に有用な資本であるとはいえ、とりわけ、何かしらの弱者が都市ではない場所で生きるには必須かもしれない。

地方だから、田舎だからと、無条件に他人に親切にされるわけではないし、自分が望むど真ん中をサポートをしてもらえるわけではない。ということを、弱者は移住する前に理解できたらいいのだけど、「この地はいい人が多い」言説にかき消されがちだ。私自身は社会関係資本を築くスキルがまだまだ低いし、正直なところ、都市の方が生きやすいんじゃなかろうかと時々思う。

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