4月28日「刑法に目を通す」

睡眠導入剤のゾルピデム10mgを飲んでから入眠までおよそ1時間。その間の記憶は翌朝(翌昼)にすっぽり抜け落ちていて、数時間後に「あぁ、あんなことがあったな」、もしくは数日後に「あぁ、あんなことをしたな」と思い出す。

寝る前にAmazonやminneを見てポチるのは、なかなか恐ろしいことだ。逆に商品を売り込むターンに自分が回る時は、深夜帯の宣伝広告に力を入れる気がする。人間が油断している時というか、正気の沙汰でない時にモノを買わせる、という。

数カ月に一度、ゾルピデムを飲んで「さぁ、寝ますか」というタイミングで、なぜかセンチメンタルになって、昔好きだった人やお付き合いしていた名前をXやInstagramで検索することがある。どこが「さぁ、寝ますか」である。

「さぁ、寝ますか」じゃねーよ、自分。

名前で検索しても「その人」のアカウントにヒットすることなんてないのは、幸運なことに、基本的にない。例外は一人だけ。5年くらい前まで大好きで、大嫌いで、大好きだった人の鍵垢である。最後は私がさんざん悪態をついて「構ってくれないならもういい。無理」と捨て台詞を吐き、連絡を取らなくなって、Twitterの相互フォローも外した。

いきなり刑法の話になるが、第二十六章から下にある単語をいくつかピックアップしたい。「殺人の罪」「未遂罪」「傷害の罪」「暴行」のアタマに「精神」の文字を付けると成立しそうなのが、私がついてきた悪態の数々である。「脅迫」「強要」「名誉棄損」「侮辱」「恐喝」も当てはまりそう。

言葉の暴力、罵詈雑言のベクトルを向けてきた私がフォローリクエスト、それはすなわち地獄の釜の「追い焚き機能」のリモコンを送るのは、罪を重ねるようなもの。私はどうかしている。

でもその時は「何かあるとすぐに電話したくなった日々よ、普通に楽しくしゃべっていた時間よ、もう一度」と思ったのである、おそらく。当時よりも充実した時間を過ごしている私からすれば、なんとなく非論理的。

ただ気持ちは論理とかそういうのでは測れなくて。シンプルに「ごめん」と謝って、許してくれたらまたしゃべりたい。心の奥では、たぶんずっとそう思っていたのだろうな、と。

「まっ、フォローリクエストの承認なんてありえないけれど」としばらく静観していたら、ある日、突然リクエストが承認された。「本当にごめんなさい」と謝ってから、あれだけしゃべりたいと思っていたのに、いざ蓋を開けたら「どう接したらいいのか分からない」と悩んだ時期を経て、少しずつ昔みたいに楽しく話せている気がする。

構ってくれてありがと。昔みたいに「好き」とか言わないけど。「大好き」とか絶対言わないけど。「めっちゃ好きやで」とか死んでも言わないけど。

鍵垢が見られるようになって、昔の自分のつぶやきに「いいね」を押してくれていたことを知った。誰が押しているかは表示されなかったので、当時は「不具合?」としか思っていなかったので、謎が解けた。

それにしても、私がラランドのサーヤさん似の人を気になっていることを書いた文章、エイプリルフールにラブホに行ったことを綴った文章を読んだらしい。ウケる。どんなことにせよ、昔も今も好きな人が笑っていてくれたらいいな、と考えるのは身勝手か。

言葉に注意を払って、今日も明日もその先も過ごしていきたい。

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