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妊娠したと思ったら聞いたことのない病気になった【胞状奇胎の話①】

久しぶりのnoteです。
少し珍しい異常妊娠になり、その情報収集をきっかけに戻ってきました。
なかなか周りに言いづらくて悶々とする中、同じ疾患の先輩方の記録に助けられてきました。
私の記録も誰かの参考になるかなと思い、少しずつ書いていきます。

※流産がからむ話です。

妊娠発覚まで

これまでなかなか妊娠に至らず、年齢のこともあって、年明けたら不妊治療の門を叩くか…と思っていた12月のこと。
生理予定日ちょっと前から風邪っぽさと軽い吐き気。そしてスマートウォッチいわく、安静時心拍数がいつもより明らかに高い。
だんだんお腹もでてきて、これはもしかしてそうかもしれない!と思いつつ、いや💩かもしれないから期待しないでおこうと自分に言い聞かせる…。

その後も基礎体温は高温をキープし、生理予定日から約1週間たった元日、検査薬で陽性を確認しました。
(めでたい!!と思った数時間後、震度5の地震と続く余震であたふた→幸い、わが家はほとんど被害なしでした)

5w〜6w、つわりが辛い…

5w後半には、普段するりと履けていたズボンのファスナーが閉まらなくなるくらいお腹がでてきていた。胸もかつてないほど張って痛くなり、匂いにも敏感に。まず食器用洗剤の匂いがだめになり、その後ごはんの匂いなど続々と…。

それと、普通に歩くだけでもここは3000m級の山か?というくらい息があがるようになっていた。心拍数が高いため、トイレと駐車場への往復くらいしか歩いてないのに一日のムーブ目標を軽くクリアしてしまい、毎日アプリに褒められまくっていた。

あれよあれよと変わっていく体にびっくりして調べると、どうやら私は普通よりお腹大きくなるの早めだし、つわりもこの時期にしては重めらしい。だからもしかして双子かな〜〜?なんて思っていた(ちょうど正月休みに「推しの子」見てたところ)。

いきなり辛いけど、つわりがあるってことは子が生きてるってことだよね!頑張ろう!とポジティブに耐える日々。

仕事はデスクワークがメインのためギリギリこなせていたものの……。
気持ち悪いと思ったらトイレに引きこもってたし、朝のラジオ体操とか工場内を歩かなきゃいけない時は心臓バクバクで爆発するかと思った。めまいも酷かった。測らなかったけど、けっこう血圧高かったんじゃないかと思う。

7w、いざ病院へ


初めて病院に行ったのは7w半ば。
尿検査で陽性確認したあとエコー。そのエコーが長い。
医師がほぼ無言でいろんな角度を見て、拡大したり測ったりして…長い…。
(これが赤ちゃんですよーとか言われるもんじゃないの?)(丸いの2つくらい見えたしやっぱ双子…?)などと考えていたら、医師から「診察室でお話ししましょう」と。

「胎嚢のようなものはあるけど週数にしては小さい。泡のようなものも見える。正常な妊娠ではない可能性が高い。胞状奇胎かも?…まあ来週また見ましょう」とのことで…。

???????
はん???
よくわかんないけど思ってた展開とちがうな???となったまま帰宅。

胞状奇胎???とは??

帰宅して、胞状奇胎について調べまくる。
(↓以下、素人のまとめですので正確な情報は医師に確認してください)

  • 1/500-1/1000の確率でおこる、受精時の遺伝子異常が原因。

  • 胎盤になるはずだった組織が水腫状になり異常増殖するため、週数のわりに子宮が大きくなりやすい。つわりも重くなりやすい。

  • 出血する場合が多い。

  • 掻爬手術を行う。2回行う場合が多い。

  • 術後、侵入奇胎や絨毛がんに進行する可能性があるため、半年〜1年の経過観察が必要。その間は妊娠不可。(進行した場合は抗がん剤治療が必要)


なかなかきびしいワードが並ぶ。
会計は3割負担だったし、普通ならもう心拍確認できる時期らしいし…やはり今回はだめかもと思ったり、
でも出血はないのでもしかしたら違うかも!という希望もあったり、、。

悲しいけどまだ100%確定って言われたわけじゃないし、この時はどこか他人事といったかんじ。認めたくないというか…

それからつわりはどんどん重くなり、水もまずくて飲めなくなった。体重は-5kg、めまいと吐き気で立ち上がれない。
会社はほぼ毎日半休をもらい(このタイミングで上司に報告)、最低限の仕事だけして、布団の中では検索魔になり涙する日々。病気について知れば知るほど悲しみが強くなっていった。
心身ともにどうにもならなくなって、1週間後の診察を待たず病院へ。

8w、手術決定

エコーで、泡が広がっていることを確認。
一週間たらずでこんなに増えるんだと感心した。そりゃ苦しいな。

学術書をいっしょに見ながら、丁寧に説明してもらいました。ちょっと珍しい疾患で、この病院では数年ぶりらしい。「これまでここで胞状奇胎と診断した人たちは皆、その後普通に妊娠・出産したので頑張りましょう!」とのこと。
私はHCG値が低め・胎嚢のようなものがある・泡のなさそうな部分もあるということから、おそらく部分奇胎(=抗がん剤治療へ進む可能性が低い)だろうとの見立てだそう。
手術は日帰りで2回、2日後とその1週間後。
術後半年は血液検査で経過をみる。その間は避妊が必要。

意外にも泣くことなく、ぽかーんとしながら聞いていた。
がん宣告もこんなかんじなんだろうか。
人生って突然なんの前触れもなく、こういうことが起こるんだ。

採血と手術説明を受けて帰宅。
栄養の点滴をなぜか断って帰ってしまい大後悔。

この後もつわりは続き、手術の悲しみと恐怖も相まって、毎日泣きながら過ごすのでした。

【②に続きます】

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