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メンタルに不安を抱えるもの同士の愛情

わたしは1年半ほど前からメンタルに病気を抱え、ろくに働くことも出来ず、あの手この手でなんとか経済的に食いつなぐような日常を過ごしている。
幸いなことになんとかやってこれたけど、そうそう楽観視出来るわけでもなく、家賃を浮かせるために空き家になっている実家に引越しすることになっている。

この病気を抱えるようになり、悲しさや辛さを1人で抱えることが難しすぎて今まで人に頼るようなことはなかなか出来なかったのに、愛情を求め、苦手なはずの人との繋がりや恋愛に救いを求めたりする。

いいのか。わるいのか。

薬を内服すると性欲が落ちると言われていて、私ももちろん例外ではないのですが、その気力がないけど人との繋がりで補う事をするんですよね。
最近の研究結果では恋愛する能力すら減退させるという結果すらある。
ならば私のこの感情はどうなんだろうか。
すこしふわふわしたものであることは確かだ。

メンタルに不安を抱えるもの同士の愛情は時に危険を伴う。
相手を無くすことに大きな不安がのしかかり、また、必要以上に求められたりする時もそこまで自分は素晴らしい人間では無いという自己卑下に深く悩むこともある。
相手を支えているということに自らの価値を見出すことは、かなり危険があるのがわかる。
だって、そんな力になりきれる訳はないから。
だって自らのメンタルが健康ではないから。

足を引っ張り合わなくても自らを地獄におとすことがある。

相手がそんなこんなでもしも我が身を自らで滅ぼしたとしたらどうなるだろう。原因がわたしでは無いとしても自らを責め、必ず後を追うだろう。

あなたが死んだらわたしも死ぬ。

脅しではなく、ほんとにそうだから。
あなたがいない世の中がどれほど不幸なことなのかをひたすら考えることになるから。

叶う恋愛ならばいいのに、こんな欠陥を抱えるもの同士の恋愛や愛情はすこし歪んでいる。

だからわたしはこう考えるように、務めてこう考えることにしている。

いくら求められても相手の満足行くような支えになることは出来ないしそんな能力はさらさらない。
だって支えになれる程強くはなく、むしろ弱すぎる。
そんな自分というふわふわした存在。

死ぬことに対してあまりに壁が薄く、いつでも壊してしまうことが出来るわけだ。
生と死の間は実はあまりにも近くにあることを世の中の人達はわかってないとすら思う。

ただ、良質な愛情はこの欠陥を癒す能力があると言われている。(今の私にはまだ分からないけども)
どの愛情が良質で、どの愛情が良くないのか判断基準はなんなんだろうか。

明らかに言えることは、メンタルに欠陥を抱えるもの同士の恋愛はあまりいい経過を辿らない。

明日、明後日、私もあなたもどうなるか分からない。
あなたが死ぬならわたしも死ぬ。

しかし、私は愛情を求め綱渡りをすることを止めないのだろう。


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