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自分の本質

去年のいつまでだっただろうか……
私はInstagramでたくさんの写真を投稿して、2つアカウントを持ち合計6000人前後のフォロワーを抱えるインスタグラマーでした。
でも、いいねの数やらInstagramで人気のある写真を出したいあまりに鮮やかな写真を好みそれをわざわざ撮りに行って、カメラにもたくさん投資して人気者気取りだったように感じています。

当時仲良くさせてもらっていたたくさんの人も影響力の大きなインスタグラマーの方々が多く、その方々の世界観にひたり楽しく過ごしていたと思います。

中途半端な私はそんな方々と交流することがおかしいのではないかと、そんな方々と交流していること自体をInstagramでただ自慢しているのじゃないかというバッシングに会い、ココロ折れてしまいました。

その時期、夫婦不和も重なりDVに怯えInstagramのいいねにより深く依存するようになっていました。
こうなると、精神を健康に保持するなんて仙人技みたいなもので。
あっという間に私は廃人化していきました。
崩れ落ちるのはあっという間です。
何がよくて何が悪いのか、誰にすがれば救われるのか?それすら分からなくなりました。

また、Instagramで知り合った友達?とLINEで様々な噂話や批判などしては崩れ落ちていく精神に拍車をかけていきました。
その方も友達だったのかすら今は疑問で、LINEもその他の繋がる手段も全てブロックされています。

そんな友達?が私には3人います。

友達だなんて言えませんが。


精神を立て直すために長く療養しましたね。
でも、それも必要な時間だったのでしょう。

バッシングされた分、私も色々と言っていたんだろうなと感じ、また、それら全てを受け入れる必要も無かったのになぁと今では冷静になれます。


芸術系表現者に言えることは根は不器用なことです。
どこかに不器用さを抱えているからこそ何かで表現しようとする。
ならば、作品は自己表現でありいくらバッシングされてしまってもそれが自分の表現なのであって仕方がないことだと。

最近突き詰めれば突き詰めるほど、自分の作品がダークな世界へとよっていきます。
私の本質がダークなんでしょうね。それを知って欲しい?というのか、ただそれを見て何かを少しでも感じて欲しいと思っているのでしょうか。

万人受けする作品を出したいならばとことん追求すべきだし、そんな作品ではなくこうありたいと思うならそれを突き詰めるといいでしょうね。私は違う様です。

その作品を表現することで何を目的としているのか?
を考えるようになりました。

私は万人受けではなくわかる人にだければ構わないですが、コアなファンがいてくれたらもっといいなぁと思っています。


先日、そんなダークな写真がとあるフォトコンで入選しました。その事で、私はこれでいいんだと実感することができました。


グランプリを受賞した方も私と同じ思いを抱えている方でした。

たとえ、評価されなくともまずは自分の表現した作品を愛してみようかと思うのです。

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