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らべあろ観光 名勝・名城めぐり 静岡城

みなさん、こんばんは。
らべあろ観光の運転手、Alohaです。
バスツアー、お楽しみいただけておりますでしょうか。

岐阜城を出発して今日で2週間、本日静岡城、通称 駿府城 に到着しました。
駿府城について少しだけ触れてみたいと思います。


1585年 徳川家康によって築城が開始され、1586年に本丸御殿が完成。浜松城から本拠地を駿府城に移しました。
天守・城郭が完成したのは1589年。その翌年、江戸に移封となった家康に代わり、中村一氏が大名として入城します。
家康が再び駿府に戻ったのは1608年のこと。
その前年の12月 失火による焼失、再建ののちのことです。
その後75歳の生涯を閉じたのもここ、駿府城でした。

家康の死去後、1635年城下より出火、城内に延焼し、天守・御殿など大半を消失してしまいます。
その後も家事による焼失、そして地震による倒壊により修築を繰り返した城でした。

駿府城は現在も発掘調査が行われており、未だ謎の多い城です。
もともとは江戸城よりも大きな天守を造る予定だったのでは、ということが発掘された天守台から言われています。


今、NHKの大河ドラマで『どうする家康』が放送されていますが、視聴率があまり芳しくないようです。
1603年の江戸開府より1867年の大政奉還までの15代265年に及ぶ徳川幕府の政権は長く平和な治世であり、その礎を築いたのは他ならない家康ですが、意外と人気がない、そして嫌われることの多い人物です。
そして、こんなに嫌われるのはなぜでしょう、という論争があるくらいです。
正直、私も好きな武将ではありません。笑

嫌われる理由を簡単に言うと、歴史に名を残すヒーロー的要素が家康にはない、ということのようです。
人気のある戦国武将の魅力といえば 正々堂々、華々しさ、潔さ、懐の深さ、などその人となりでしょうか。
家康といえば、おもらしをしながら敗走、義理人情に薄い薄情さ、すぐに手のひらを返す狡猾さ。
ヒーロー的要素の真逆をしぶとく生きた家康、と言えます。

さて、そんな家康が愛した駿府城。
これまでいくつかお城を詠ませていただきましたが、一番苦しい、いえ難しいお城でした。という言い訳。笑

凍解の老獪住まふ城の跡

いてどけのろうかいすまふしろのあと

家康さん、老獪だなんてごめんなさい。笑

さて、次のお城は松本城。
現存天守の国宝、一度はご覧いただきたい素晴らしいお城です。

我が、らべあろ観光の名ガイド ラベさーん、よろしくお願いいたします。

今日もへたっぴの句をよんでくださり、ありがとうございます。
旅は終盤、尾張名古屋までよろしくお願いいたします。







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