いろいろと・・・ちょっと待ってぇ

みなさん、こんにちは。
らべあろ観光バスは一路北へと走行中でございます。
そして恒例の ちょっと待ってぇ。
今回は・・・あら、まだ1回目でございます。笑

さて、今ご案内いたしております春日山城は、あの名将上杉謙信公のお城でございます。
1607年福島城完成に伴い、行政組織を移し、春日山城は廃城となりました。しかし近代になり、1901年春日山神社が創建され、1931年には毘沙門堂も復元され、1935年には主城周辺が国の史跡に指定されました。

Sazanamiさんの御記事、御句。
春日山城の、謙信の魅力が満載です。
おやつもあります。❤
ありがとうございます。

実は謙信さん、けっこう好きなんですよね。
愚直、なほど真っ直ぐな方のような気がして。

四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒
最後の言葉に憂いはありません むしろ達成感のようなものを感じます

龍天に登る越後の風ぞ空

りゅうてんにのぼるえちごのかぜぞそら

越後の龍と呼ばれた謙信公のイメージで詠ませていただいた拙句です。
戦国時代を意識して、それらしく詠んでみました。

人としての義を重んじた、あくまで正々堂々。
15歳で初陣を飾り、大きな戦を70余り経験した謙信の勝率は9割5分以上。

我が生命のある間、国家を裏切る者を平らげ、諸国を一つに帰して、貧困に陥った人々を安住ならしめる他に希望はない。もし謙信の運が弱く、この志が空しいものならば、速やかに病死を賜るべし。

決して自らの欲のために戦ったのではない。
そのように伝えられています。

ちょっと寄り道
運転手の勝手極まりない願望(笑)でちょっと寄り道いたします。
ここは奥州、平泉。

涼やかな緑の香る風とともに、少し散策いたしましょう。
少しだけ奥州藤原氏のお話を。
平安時代後期から鎌倉時代にかけて、現在の東北地方を治めた一族。
それが奥州藤原氏でした。
初代の藤原清衡、基衡、秀衡、泰衡と四代続きましたが、源頼朝に攻められて滅亡しました。

彼らはこの平泉に仏国土を目指し、多くの仏教建築や庭園を造営しました。
それは相次ぐ戦乱で失われた多くの命を慰め、平和な社会を作りたいと願っていたからと言われています。

なかでもこの辺りで沢山採れた金を使って、京から優れた技術者を呼び寄せて造られた金色堂は、当時の最高水準の建築物と言われています。

ここには清衡、基衡、秀衡、のミイラ化した遺体と泰衡の首級が今も安置されています

奥州の御魂の静か千代の春

おうしゅうのみたまのしづかちよのはる

生きているうちに必ず訪れたい。
ただ・・・交通の便が。汗
という、奥州平泉でした。

今回、東日本編の旅の記念になればと、いつもの拙書でございます。
今回は短冊のようにしてみました。

最終、名古屋城まで書かせていただき、何らかの形でご披露させていただければと思っています。

それでは、これからの旅もお楽しみくださいませ。
たまに運転手が歌って踊りだします・・・はい、安全運転で・・すね。汗

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