日記 24/04/12
今日は半日外出、長い時間ひとと一緒にいた。あとめっちゃ買い物をしてだいぶお金を使った。ふだんはあまり金を使わないタイプというか、物を買うことに結構な罪悪感を感じるタイプなので、なんというか散財するとそれない以上に解放感を覚える。
その都合で久しぶりに渋谷へ行ったんだけど、フランツ・カフカが没後100年か何からしくて、駅前にカフカの言葉とか、それをイメージしたらしいアートが並んでいた。僕も『変身』はすごく好きで、何度も読み返している。あと『流刑地にて』と『火夫』もけっこう好きだった。
一方で、これはアートにタイトルが書かれていて思い出したんだけど、『城』は読み切れなかった記憶がある。なんというか、何も起こらないんですよね。めちゃめちゃ退屈で途中で、しかも割と序盤の方で投げてしまった。どこかでもう一回チャレンジしてもいいかもしれないけど、どうやら未完の作品らしいんだよな。
『変身』は、グレゴールが死んだときからはじまるスーパー爽やかな幸せ一家の姿がとても好き。「死んだ方が良い」という言葉はよほどのことがない限り他人に向けない方が良いけれど、実際のところ死んだ方が良い場合と言うのはある。僕にも毒虫みたいな時期があっただけに(今もちょっと近いところにいるかもしれないが)、「死んだ方が良い」というのは哀しいけど一抹の正しさを備えていると思う。これは真ではないんだけど、「俺が死んでみんなが幸せになる」ならそんなに良いことはない気がするんですよね。
肝心の駅前のアートは大半の人が素通りしていったけれど、まぁ実際のところ、そのくらいの方が良いんじゃないか。
渋谷は相変わらず人が多くて、特に外国人が多くて、歩いているだけでもそう退屈はしそうになかった。途中、知り合いにJTが運営しているという喫煙所を教えてもらい、そこで何本か煙草を吸った。電子タバコのサンプルを試してみないかと誘われたけど、僕は火が見たいだけなので丁重にお断りする……こともなく、連れ合いがさっぱり断ってくれた。こいつに喋らせてもダメだと思ったんだろうか。実際、その通りである。
でも「火が見たい」っていうのはあながちウソではなくて、じりじり燃えていく煙草の先を見ていると「燃やしているか?」って聞かれる気がするんですよね。ちょっと自分を見つめなおして、燃やしていると思うときもあるし、ただ燻っていると思うときもある。あと『ダークソウル3』の残り火の演出もちょっと思い出す。
その喫煙所も僕と連れ以外は全員電子タバコで、なんだか寂しくなってしまった。古く、老い、置いていかれて終わるのか。現代社会の毒虫であれよ。
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