あなたの知らないヒデオイタミの世界〜"史上最悪の乱入者"が失ったものを取り返すまで〜
結局何が言いたいかっていうとKENさんは一番ワルくてカッコイイってこと!!!
はじめまして、今ではバレットクラブのメンバーとして日米を湧かせるKENTAのアメリカ時代、特にNXTの頃ってあまり語られてないと思うんですよね。
あの当時のNXT、私の中ではUndisputed Eraが牛耳っていたあの頃並に好きな時代なのでもっと色んな人に知ってほしくてこのnoteを書いています。
当時のNXTの状況としてはエイドリアン・ネヴィル(現PAC)やサミゼインの活躍によりインディーで成功していた選手に加えてジャスティン・ガブリエルやタイソン・キッドなどのRAWやSMACKDOWNに出ていた選手やタイラー・ブリーズ、ジ・アセンションといったWWEが新たに育てる若手など色んな選手が集まっている状態だったように思えます。
そんな中でWWEは立て続けにKENTA、プリンス・デヴィット、ケビン・スティーンなどといったインディー界の大物達と契約し、その路線を拡大していくこととなります。
ここではKENTAがNXTで何をなしてきたか、失われたものを取り戻すためにどれだけ前に進んできたか。その歴史を簡単ではありますが振り返りたいと思います。
詳細を確認したい方はあし↑あと↓を読んでください
文才に溢れているし波乱万丈すぎて一気に読めちゃうと思います。
KENTA、ヒデオイタミとなる
NXTお披露目と名前の変更
当時プロレスリングノアのエースとして活躍していたKENTAは2014年、WWEと契約をしました。
いち選手のお披露目にレジェンドでもあるハルクホーガンが同席するなんてかなりの期待の表れ、そして日本市場への期待度の高さだと思います。
当時のWWEの状況としては2013年にヨシ・タツ(ヨシタツ)が解雇をされて以来、日本人選手は在籍していませんでした。
そんな中で日本人のビッグネームが契約する事となったのです。
また、KENTAのアメリカ初お披露目もかなり大きな舞台で行われていました。
当時NXTはTAKEOVERという大型イベント(今で言うプレミアムライブイベント)を定期的に行い、そこで抗争の決着戦をつけるといったスケジュールをしていました。
9月に行われたNXT TAKEOVER FATAL 4 WAYにてKENTAは当時GMであったウィリアム・リーガルに呼び込まれる形でお披露目されます。
ここでKENTAはヒデオ・イタミとなる事を宣言しました。
由来については英雄やら痛みやら色々諸説が言われてきましたがその実際を本人が足跡にて語っていますのでそちらをご一読ください
今ではインディー界で使っていた名前をそのまま用いる(AJスタイルズ、カールアンダーソン、アダムコールなど)事が許されているWWEですが商標登録などの兼ね合いから当時はどんな大物でも原則名前をWWE仕様に変更させられていました。
PAC→エイドリアン・ネヴィル
エルジェネリコ→サミ・ゼイン
タイラーブラック→セス・ロリンズ
サムライデルソル→カリスト
などが例としてはあります。
その一環でKENTAはヒデオイタミに、同時期に入団したプリンス・デヴィットもフィンベイラー(今でも絶対にバロール表記だと思っている)にケビン・スティーンもケビン・オーエンズと名前を改めました。
お披露目ではタッグ王座を失ったビクター&コナーのジ・アセンションの2人がリマッチを公開要求するために乱入してきましたが晴れ舞台をぶち壊されたヒデオは拳で抵抗します🤜🤛
こうしてヒデオの輝かしいNXTキャリアが幕を開けたのです。
名前以外にも失ったもの
そんな彼ですが、彼を象徴する必殺技が3つあるのはKENTAを知ってる人はご存知だと思います。
・Go 2 Sleep
・ブサイクへの膝蹴り
・GAMEOVER
です。
しかしこの3つ、KENTA、いやヒデオは全て使えない事となってしまいました。
彼自身の必殺技をROH出身の2人のスーパースターに使われていたためです。
当時CMパンクは退団済み、ダニエルブライアンも怪我により欠場だったのですが人気選手の技をNXTでデビューしたばかりの選手(本来の使用者でもあるのに関わらず)が使うというのはWWEとしてもNOだったのでしょう
彼は新しいフィニッシャーを考案しないといけなくなってしまいました。
NXTデビューと初のTAKEOVER
そんなこんなで彼のデビュー戦がNXT通常放送回で組まれます。
相手はタッグ王座戴冠経験もあるジャスティン・ガブリエル。体格としてはクルーザー級に近く、打撃も飛び技も出来る選手です
日本ではPJブラックの名前の方が浸透していますかね
ここでヒデオか使ったフィニッシャーはダブルフットストンプ
いや、それプリンス・デヴィットも使うやつ〜!辛うじてコーナーへのドロップキックは許可されていましたが肝心のフィニッシャー問題はあまり解決に近付いていないように思えました。
またこの試合ではスワンダイブ式のドロップキックを繰り出しているのですが、ロープやリングの感覚が合わなかったのか少し滑ってしまいました
その時の事も足跡に書いているので是非そちらを読んでみてください
その後も数週間に渡ってアセンションと抗争をしていく中で彼はパートナーを連れてきます。
ファーガル・デヴィットがNXTに降り立った瞬間です。
フィンとヒデオは息のあったコンビネーションからペレキック、ブサイクへの膝蹴り(のような蹴り)からフットストンプを決めてリベンジを果たしました。
そして迎えたTAKEOVER R EVOLUTION
WWEにデーモンが現れました。
ヒデオもブサイクへの膝蹴り(Running Dropkickとアナウンス)やG2Sに繋がるファイアーマンズキャリーの体制で観客を湧かせたものの新日本プロレス時代からやってきたペイントをここで解禁してきたフィンの方に注目は集まってしまった。
そう思ってしまったTAKEOVERデビューでした。
その後も迷走を続けるフィニッシャー開発
中腰相手へのコークスクリューキック
ランニング式のシングルレッグドロップキック
なとが使われてきましたが見てる側としても正直しっくりきませんでした。
彼自身2度目のTAKEOVERであるTAKEOVER Rivalに向けてシングルプレイヤーとしての道を歩み始めました。
Hey, look everyone. It's Tyler!
NXT王者サミゼインに対して親友のケビンオーエンズが挑戦する事となっていたTAKEOVER Rivalでは彼らの勝者に挑戦をするナンバーワンコンテンダートーナメントが組まれる事となりました。
一回戦の対戦カードは下記の通りです
ヒデオイタミvsタイラーブリーズ
フィンベイラーvsカーティスアクセル
エイドリアンネヴィルvsタイソンキッド
バロンコービンvsブルデンプシー
となり、日本で自撮り棒が流行る前から自撮り棒で入場していたタイラーブリーズとヒデオは試合をする事となります。
ヒデオはトーナメント一回戦でブリーズに勝つものの二回戦でパートナーのフィンに敗れてNXT王座次期挑戦者にはなれませんでした。
迎えたNXT TAKEOVER Rivalで彼はブリーズと因縁の対決に挑みます。
ここではロープに相手を振ってカウンター式のシングルレッグドロップキックで勝利を収めます。
グロッキー状態の相手をロープに振ってから蹴りに行っていたので見てる側もモヤモヤしてましたが本人のモヤモヤ具合には勝てないでしょう
Give him back G2S 🙏
その後も彼はブリーズと抗争し、三本勝負の完全決着戦に敗れるもののチャンスが訪れます。
はじめてのレッスルマニアとG2S
この頃のヒデオの試合は観客からGTSのチャントが多く出るようになり、ファンも彼の本来のフィニッシャーを求めているのだと思いました。
そんな要望に応えてかハウスショーにて一日限りのG2S解禁がありました。動画はこちらから⬆
またそんな2015年のレッスルマニアウィークでネヴィル、フィンを倒し彼はレッスルマニアにて行われるアンドレ・ザ・ジャイアントメモリアルバトルロイヤルへの出場を決めます。
その大会では藤波辰爾が殿堂入りをするセレモニーがあるという側面はありましたがヒデオは"初めて"WWEで大きなチャンスを掴みました。
フィンのパートナーではない、ヒデオイタミとして得た最高の結果です。
また彼のランニングドロップキックはショットガンキックとして名付けられました。
彼のレッスルマニアデビューのドキュメンタリー動画です。
多くのスターからリスペクトされ、かつての旧友たちとも再会を果たしています。
アメリカに来た子供たちに見せるパパの勇姿は最高にカッコよかったです。
初のレッスルマニア出場、ブリーズとの抗争で得た歓声と手応え
彼は目標でもあるNXT王座に向けて進むはずでした。
絶望とスポットライト
ネヴィルがメインロスターへと昇格、ゼインも怪我で長期欠場し王者ケビンオーエンズへの挑戦者をフィン、ブリーズ、ヒデオの3人で争う形となっていました。
しかしここでヒデオに悲劇が訪れます。
ハウスショーで行われた3人によるトリプルスレット戦にて左肩を負傷し長期欠場となってしまいます。
手術の結果はこちら⬇
欠場期間は約半年〜8ヶ月ほどと言われ、掴みかけていたチャンスが目の前から消えてしまいました。
また、ヒデオが欠場した事により次期挑戦者はフィンとブリーズによって争われ、勝利したフィンが挑戦する舞台が決まりました。
東京 両国国技館にて行われるWWE日本公演です
この大会は異国で行われるハウスショーをWWEネットワークにて生中継するという異例なものでした。
去年のこの日本公演でお披露目されレッスルマニアにも出場したヒデオイタミが故郷に凱旋しケビンオーエンズのNXT王座に挑戦する
そんな物語がそこにはあったのかもしれません。
しかし現実はそううまくはいきません。
そこに立っていたのはかつて日本で育ち、日本でバレットクラブという一大ムーブメントを引き起こしたフィンベイラーでした。
結果はフィンが第二の故郷に錦を飾る初戴冠
プロモーションなどもあったため帰国をしていたヒデオは彼の戴冠をスーツ姿で観客席から見ていました。
悔しさと焦りしかないでしょう
しかしヒデオには怪我を治す事しか出来ず、つらい日々となっていたと思われます。
ここに関しても足跡にて当時のリアルな状況が書かれています。
本当に読んでてつらくなりました
彼が怪我を治した頃、NXTの景色は激変していました。
2人の日本人とひとりの復帰
彼がいない間、NXTでは2人の日本人が大人気となります
彼がレッスルマニアに出た翌年にNXTデビューを果たした中邑真輔、そして圧倒的強さで連戦連勝のASUKAです。
この時のヒデオの心境を考えると本当につらいものがあるでしょう
かつては唯一の日本人として期待を一身に背負っていたが今では自分よりも人気な日本人がいる
しかも自分には怪我でそれを巻き返すチャンスがない
当時の中邑真輔は世界的カリスマとして大人気でフィニッシャー名や入場曲の変更はあったものの名前も技も世界観も全てそのままの状態でWWEに乗り込んできました。
ヒデオは名前も技もコスチュームも曲も何もかもが奪われた上でのスタート
多くのものを失い続けて、奪われ続けてきたヒデオイタミのリベンジがここから始まります。
G2S
2016年の夏、彼は再びNXTに帰ってきました。
かつて奪われた必殺技とともに
復帰戦ではブサイクへの膝蹴りを、そしてTAKEOVER BROOKLYN2ではG2Sを解禁しました。
まず、失われた技2つを取り返したのです。
その後も彼はシングルプレイヤーとして戦っていたのですが、またしても悲劇が訪れます
ハウスショーにて中邑真輔とタッグを組んで臨んだ試合にて対戦相手の技を受けてまたしても長期離脱をしてしまいます。
この時はもう引退してしまうのかもしれないと不安に感じてしまうような落ち方だったので、今もこうして彼がプロレスラーをしているだけで既に嬉しいです。
どんなレスラーであろうと怪我はしてほしくないし長く現役を続けてほしいものですからね
この結果、ヒデオはまたも一年以上欠場する事となりました。
振り出しとRespect Me
ヒデオは2016年も怪我で棒に振る形となり、年が明けた2017年、中邑真輔がメインロスター昇格のためNXTから卒業します。
そして当時の王者ボビールード(通称グロリアスおじさん)相手に突如張り手を加え、G2S一閃
NXT復帰と王座挑戦へのアピールです。
ただここで無言なのはどうなんや…って感じでしたね。盛り上げ上手なルード相手なので試合内容は間違いない、そう思っていました。
その後、ヒデオは復帰戦後にロデリックストロング(現AEW ADAAAAMと叫んでる人)と次期挑戦者決定戦を行います。
確かロディもノアに参戦してたはずですね、懐かしい顔合わせです。
この試合はROHらしさの残るハードな打撃とエグい角度の攻めが見事に噛み合った素晴らしい試合でしたね。
エプロンへのバックブリーカーや膝丸出しのG2Sなどかなり熱かったです。
この試合に勝利しヒデオはルードの持つNXT王座への挑戦が決まりました。
怪我に泣かされ続けたWWEキャリアで初の王座挑戦となります。
しかし迎えたNXT TAKEOVER CHICAGO、グローリアスDDTに散ったヒデオは試合後も苛立ちを隠せず。
宥めに入ったカシアスオーノ(クリスヒーロー)やフナキに対して暴言を連発
ヒールターンを思わせる行動をとります
その後は初の日本公演での試合をし、vsクリスジェリコ、vsエンツォアモーレと元気な姿を日本で見せたもののアメリカに帰ると彼は一変します
観客にRespectを求めShow me respectとひたすら叫ぶヒールになってしまったのです
彼のハードな打撃はヒールでこそ輝くのかなと思っていたのですごく良かったですし、アレイスターブラック(現AEW マラカイブラック fkaトミーエンド)やカシアスオーノとの抗争が始まり、彼にもようやくスポットライトが当たる
そう思っていました。
しかし物事そうはうまくいきません。
TAKEOVER BROOKLYNにてアレイスターブラックに負け、NXT通常放送回ではオーノとのNoDQマッチにて敗れました。
彼がオーノ戦で見せた迫真のローブロー受けはヒデオイタミとして試行錯誤してきた中での努力が出ていて最高に好きです
3年間のうち約半分近くを治療に費やしたヒデオのNXTキャリア集大成となる2戦になったでしょう
彼は次のステップへ進むこととなりました。
205 Live 絶望の中で決めた覚悟
ヒデオイタミ、突然のメインロスター昇格です
そして彼は当時RAWやSMACKDOWNの前後に収録されていた軽量級選手が集まる205 Liveに昇格しました。
当時の205 Liveの扱いとしては
・ダークマッチのような扱い
・テコ入れでネヴィルが入るも扱いの悪さにブチギレ
・エンツォを王座にさせるも試合が下手で態度もデカイわ口を開けば人脈自慢にお金の自慢とどうしようもねえ奴で総スカン
・ファンもたいしてリアクションがない
・マーフィー(現バディマシューズ)やセドリックアレキサンダー、ムスタファアリ、戸澤陽、ドリューグラックのような試合巧者はいるがスポットが当たらない
いや、これ実質的なさせ……テコ入れのためのヒデオ昇格だったと思います。
余談ですが当時エンツォがどれほど嫌われていたか分かる動画がこちらです
これ"放送後のRAW"での出来事なのでベビーもヒールも関係なく集団でエンツォを公開処刑にしています
そしてそれがファンから大歓声を受けている
これだけで伝わるでしょう
こんな世紀末な環境に放り込まれてしまったヒデオはどのようになってしまうのでしょうか?
ヒデオのメインロスターデビューの日がついにやってきました。
ヒデオのデビュー戦はフィンのパートナーとして当時フィンが抗争していたミズ軍団の取り巻きであったボーダラス&カーティスアクセル相手に行われました。
ここではG2Sでアクセルを破り、順調なメインロスターデビューを飾った、そう思っていましたが翌週またしても彼に悲劇が襲いました。
翌週のRAWにてブライアンケンドリックとシングルマッチを行ったヒデオ、彼はいつも通りG2Sを決め勝利を決めたように見えましたがここで問題が起きます
少し当たりどころが悪くG2Sによりケンドリックが骨折をしてしまったのです。
よく見ると喰らった後の顔の抑え方が凄いことになっています。顔を隠すようにフォールをしたヒデオも咄嗟の判断だったと思いますがいい動きだと思います。
過去にも対戦相手が怪我をしてしまった事があり、それによってG2Sは使用禁止技に逆戻りしてしまったのです。
またしてもフィニッシャーを奪われてしまったヒデオ、次なるフィニッシャーはこれになりました
リバースDDT(もしくはスコーピオンデスドロップ)のような体勢から相手を振り向かせてのコードブレイカー的なフェイスクラッシャーです
いや、どういう技!
確かにこれは相手が怪我をするリスクも高くはないのですが、これが"KENTAの必殺技です"とお出しされて納得出来るものではないでしょう……。
また年が明けた2018年、レッスルマニアでのクルーザー級王座戦への出場者を決めるトーナメントが開催されます
ドラダ、セドリック、TJP、カリストにアリ、マーフィーやグラック、戸澤、ロディと錚々たるメンバーが出ているこのトーナメント
びっくりするくらい盛り上がらなかったです
当時の客層とクルーザー級の戦いがマッチしてないにしてもこんなに静かなんですか…ってくらいに特にロディvsヒデオは以前のNXT以上の面白い戦いでした
これが当時の205 Liveに対する評価だったんですよね
そのトーナメントで一回戦負け
しかも相手は205 Live所属ではなくNXT所属の頃のロディ相手にとなるとヒデオも覚悟が決まったのでしょう
彼はこの後、戸澤陽との日本人タッグでルチャハウスパーティーと抗争をしたり戸澤と揉めてシングルをしたり、何度か王座に絡むも最後までタイトルは獲得出来ず彼はWWEを去る決断をしたのでした。
しかしながら彼とムスタファアリの試合はすごく噛み合ってて面白いので是非見てみてください
というよりあの頃のアリは誰と試合しても面白い試合をしていたのでめちゃくちゃ凄かったです
最後に彼は戸澤陽とシングルを行いWWEを去りますが、こちらの映像を見ていただければどれだけ彼が愛されていたのか伝わるでしょう
怪我に苦しみながらも必死にもがき続けてきた4年間
名前もコスチュームも必殺技も全て失った所から始まったスタート、Respect Meと叫び続けた男はアメリカ中でRESPECTをされてWWEを去ったのです
この後はWWEで思うような動きが出来ず失った名誉や誇り、それらを取り戻すべく新日本プロレスへと誘われていくのでした。
なぜ新日本プロレスを新天地に選んだのか、それも足跡に書かれています。
是非読みましょう
まとめ
怪我に苦しんだNXT時代、番組自体がチャンスに恵まれなかった205 Live時代、入団当初は2人のスーパースターにより奪われた必殺技とその後は怪我により奪われた必殺技
怪我により潰れたスポットライトに治療中に失った人気のある日本人スーパースターとしての居場所
KENTAのこの4年間は奪われてきたり失ってきたばかりなのかもしれません
しかし今の彼を見てる皆さんはよく知っているでしょう
どんな時でも折れない心、真っ直ぐに自分の意志を貫く強さ、バックステージでの感情表現や試合中のアピールの仕草。これらは全て彼がWWEで生き抜いていく中で身につけていったものでしょう
最高に悪くて最高にカッコいいKENTAの生き様をこれからも見ていきたいと思います。
結局俺が何が言いたいかっていうと、あし↑あと↓をみんな買って読んでねってこと!
以上!
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