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「バカな女」は、たくましく、そしてカワイイ。

「バカな女」というのは、人類の歴史上欠かせない。人類が文化を発達させるための原動力が生まれたすべては「バカな女」がいたからである。
 もちろん「本当のバカな女」は救いようがないので、ある一定以上の知能を持った上での「バカな女」という定義に限ってのことになるが。

 ちなみに「本当のバカな女」とは、男とセックスをしまくってめちゃくちゃな快楽を得たいという下品な欲望を覆い隠すために、死ぬ気などさらさらないのにリストカットをしたり、男に浮気されたから死んでやると叫びながら壁に頭をぶつけたり、腹を立てると相手に抗議するのではなくあえてはらはらと泣いてみせたり自分が大事にしていたものを壊すなどの「私を見て!」というパフォーマンスに走る、往々にしてちょうどいいブスでバカな女のことを言う。そういう女は男にとってセックスの相手としては最高だけれど、それ以上でも以下でもないので、半年周期で男に捨てられて、もう恋なんてしない、とか言いながら、酔った勢いで付き合うより先に身体をよく知りもしない男に差し出す、あなたの周りにもよくいる、あの手の女のことである。いっぱいいるよね、肉便器。酔わせばヤレると噂のあいつだ。
 この手の女は基礎教養がない、というより、教養に触れたことがない、というのが正確なところで、テレビとYou Tubeがすべてなので、本物を知らない。

 翻って人類の歴史を作り上げてきた「バカな女」は、まず圧倒的に教養がある。当たり前だが都会の出身なので、あらゆる意味でソフィスティケイテッドされていて、美術館や演劇場、ライブハウス、ディスコ、クラブ、華道教室、アロマ教室、ヨガなどの様々な文化を知っている。しかも、それらをただ単に情報ではなく経験として知っているので、一般の男が対峙すると大体にして怯む。日常的に海外旅行にも出掛けたりしているので、テレビで見るのとは違う、真実を知っている。
「アメリカ人って、とってもフレンドリーだよね」とか聞きかじりの知識をひけらかすと「セルフィッシュ(ワガママ)なだけだよ」とか本当の情報を持ち出すので、男は途端に緊張を強いられる。バカなことを見抜かれたくはない、と身を構えるのだが、ルイ・ビトンのバッグはあの自動車メーカーみたいなロゴが素敵なのではなく、ステッチの技術が世界一なので壊れにくい、みたいな情報はすでに持っているので手強い。ボジョレー・ヌーボーなんて毎年ありがたがっているのは日本人だけ、など本質を突いてくる。

 ただし本当のバカな女とは違って、それが教養だとも思っていないので、「私って、こんなたくさんの国に行ったことがあるし、こんなに習い事をたくさんしているし、ピンドンはいつも飲んでいるし、付き合っている男はシンガに不動産を持っているメガバンクの駐在」みたいなことは決して言わない。それを言うのが「本当のバカな女」。

 今は「バカな女」について書いている。
 脈略もなく、今読んでいるのは承認欲求についての前衛的な時代にフィットした本、とか言われると、男はバカを見抜かれたくはないので焦るのだ。

 なぜ「バカな女」が人類史上において大切な役割を担ってきたか、というと人類のオス、すなわち男は基本的には征服欲と性欲を満たすために交尾をするので、女が自分よりバカでないと男は勃起しない。本能ではなく、理性で無理やり勃起をしようとすると、制度を破壊して、母子相姦やSMプレイに走るしかないのだが、これについてはまた今度言及するかも、としておく。

「カワイイ」という言葉は、ペットや子供あるいは自分よりバカな相手にしか使えない。先生や上司や取引先の相手には怒鳴られてしまうが、唯一「バカな女」に対してだけ褒め言葉となるのが「カワイイ」である。

 そして本当にカワイイ「バカな女」は「私ってカワイイ?」とは絶対に訊かない。そういった甘えと依存を徹底的に嫌うので、たくましさがある。道に迷って歩き疲れた末に突然のスコールでグシャグシャになっても、プライドは失わず、声をかけてきた小汚いおっさんには助けを求めない、それが「バカな女」である。

 そして、言うまでもなく「バカな女」は、むちゃくちゃに美人である。
 そもそもバカであろうがなかろうが、ブスは話にならない。週末のディズニーシーなどには「すげえ!」と声を出してしまうような、とんでもないブスの奥さんを含む家族連れなどがいるが、あれは男にとって最大の敗北である。進化と発展と創造を放棄した男は、ひどいブスでも我慢するしかない。

 太古の昔から男は、バカな女のために、命がけで狩りに出掛け、幻想的なソナタを奏で、現実を凌駕する絵画を描き、血肉の通った物語を創り、麻薬のオーバードープより気持ちのいい宗教儀式を築いてきて、それが歴史と文化となり人類は進化した。
 バカな女はそれに対して、ただ評価を下すのみ。つまらない、と言われた男は敗北者としてブスと番になるしかない。屈辱と恥辱にまみれた男としての本能を放棄した余生を甘んじて受け入れるか、あるいは自分自身に絶望して自殺をする。

 男は「バカな女」に対してただ、カワイイ、とその一言を言うがために、魂を賭けて己と世界を創造する。
 ただし「バカな女」はそんなことに一切の関知はしない。男の努力など評価しない。その男が創り上げる何かにも期待しない。

 淡々と「バカな女」として存在しているのが、たくましくて、カワイイ由縁である。
 そんな「バカな女」に対して、あらゆる意味でオナニー的である己の魂の化身とも言える創造物を差し出して、男はこう言うのだ。

「あなたはカワイイ」と。

「バカな女」にカワイイと言えた男は、イニシエーションをパスしてようやく己の性欲と征服欲を満たすことができるのだ。

「バカな女」は、バカな女であるからこそ、たくましく、そしてカワイイのである。

 この文章を読んでいる中で「この文章は私のことについて書かれている」と思い当たるのは一人しかいない。

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