僕がコーチである理由 〜師は老子、ロールモデルは殺せんせー〜

コーチの自己紹介としては、これは欠かせないだろう。
ふと原体験を思い出したので、記録しておく。

これは僕の中学・高校時代の話。
僕は中高一貫校に通っていたため、高校受験というものがなかった。
その代わりに学校から与えられる課題として、卒業論文・制作というものがあった。
堅苦しい名前をしているが、要は何をやってもいい。
「今しかないエネルギーを使って、何かを創造しなさい。」という課題だった。
僕は4つある部門の中から文学を選び、ミステリー小説を書いた。
今となっては読み返すのに勇気がいる出来だと思うが、当時は校内で金賞を頂いた。
中3の夏休み明けで提出した後、年度末に受賞者が決まり、程なくして各部門の金賞受賞者による後輩に向けてのプレゼンが行われた。体験談の発表会である。
ここで僕はスライドデータの入ったUSBを自宅のパソコンに挿したまま、持ってくるのを忘れていたというミスが発覚する。
致し方なく発表は口頭で行った。突然のトラブルに動揺しながらも夢中で何とか発表し、少し異様な空気感の中終わったことを覚えている。

高2になって、一つ下の代の後輩たちの製本された体験記を見かけ、文学部門が気になって本を開いてみた。
すると、金賞を受賞した後輩の制作の動向が僕のプレゼンをきっかけに変わった、ということが書いてあった。プレゼンが終わった直後に職員室に駆け込み、部門ごと変えたらしい。
そしてその後輩は校外のコンクールでも最優秀賞を受賞、という先輩として喜びに余りある結果までついてきた。
他人の自己実現に何らかの形で貢献する、これが至上の喜びだと初めて知った。
もう、自分の自己実現はお膳立てでいいや、と思ってしまうには十分だった。
実はこの喜びの最高潮は今でもまだ更新されていない。

東大受験に自分の思い通りのやり方で合格した時も、最高記録は越えて来なかった。今思っても受験当時は究極の自己実現のゼロイチは済んでいたのだが、それでも越えて来ない。
承認欲求から卒業して、ただ遊び心の赴くままに東大に辿り着いても、
何かの実績や持ち物にこだわりがなくなり、気づいた時には学位記を手にしていても、一切揺るがすことのできない次元の違う喜びの境地。
それが僕の見ているコーチングである。

僕の自己実現は、クライアントが信じてついて来るために必要なだけでいい。世界一の富・名声・力を得なくても、新聞の片隅にすら載らない実績で人の心は動くし、僕からするとそんなことは本質じゃない。
もっと大事なことがある。

それは、誰にでも本来的に共通する、"今ここにただ在ること" だ。
それを当たり前に体現することを究極のコーチングとし、無為自然をウェルビーイングに据える。
欲望や悩みを根絶するのではなく、何ものにも囚われない巡りの良い自由。
僕なりに言い換えると、マインドフルに生きるのではなく、"マインドフルに生きないことを明らめる" ことだ。
そういえば、『暗殺教室』の殺せんせーってそんな感じだったなと。
あの人の願いは「弱くなりたい」だった。僕はあの人の命が好きだった。

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