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2012年の思い出話に始まる、オチのない話

もう10年前、2012年の思い出話に始まる、オチのない話である。
私は当時、ロシアで学生をしていた。

当時住んでいた寮の近所には小さいコンビニがあった。ここのオーナーのロシア人のおじさんは統一ロシア支持者で、コンビニの壁にはプーチンやメドベージェフの顔写真が何枚も貼ってあった。
(※この店が特殊というわけではなく、そういう店はよくありますし、私の認識が間違いでなければ、ロシア連邦になる前から、指導者の写真を目につくところに貼るというのはよくあったことだと思います。)

コンビニでの買い物はスーパーマーケットでの買い物よりも高くつく。それゆえ私はこのコンビニで買い物をすることはあまりなかったのだが、ある日の深夜、どうしてもオレンジジュースが飲みたくなり、寮の裏口から外に出て、24時間営業のこの店に入った。

店番をしていたのは、東ヨーロッパ系ではない、若い男の人だった。オーナーがいなくてもプーチンとメドベージェフの写真は飾りっぱなしで、彼はその前でNokiaの携帯電話にイヤホンを差し、音楽を聞いている。音楽タイムを邪魔して悪いなと思いつつ、すいません、そこに積んであるオレンジジュースをひとつくださいな、と言うと、無言で会計してくれた。私が釣り銭を受け取った時、彼は初めて、(自分のことを棚に上げて言うが、)あまり上手ではない発音で喋った。

「中国って今、何時なの?」

私は何人である前にまずアジア人で、それらしい見た目をしていて、そのことが嫌いじゃない。だから何人に間違えられても別になんとも思わないのだが、中国とこの町との時差は本当に知らないし、これがもしアジア人へのからかいのつもりの問いだったら嫌だった。だから、会話を終わらせるつもりで

「多分、朝じゃないですかね?日本と近いから」

と返した。

すると、彼は私の思惑に反して「え!?あんた日本から来たの?」「地震はどうなった?まだ揺れてる?そもそも地震ってどんな感じ?」「今原発はどうなってる?」「てか、あんた何してんの?こんなとこで、こんな夜中に笑」と立て続けに質問してきて、結局しばらく立ち話をする羽目になってしまった。

長く話していくと余計に彼のロシア語の発音の耳慣れなさを面白く感じ、同時に彼の出身が気になる。話が途切れた時に、ようやく

「ところであなたはどこ出身なの?」

と聞くと、カイロだと言う。
思わず「エジプト!?」と聞き返すほどに驚き、その後は言葉に詰まった。

アラブの春。エジプト全土での巨大な反政府デモ。革命。ムバラク政権崩壊。民主化の幕開け。東日本大震災の直前に起こっていたこれらの変化は、記憶に新しかった。死者も負傷者も多く出て、彼の母国には相当な混乱があったはずだ。
3秒ぐらいで色々考えて、

「大変でしたね」

とコメントすると、彼は

「まあ、国が前に進むためだから。あんたらの地震の方が大変だったでしょ、災害なんだから」

と言って肩をすくめる。肩の向こうには、プーチンとメドベージェフの写真がある。

自分の部屋に戻ってから、オレンジジュースをコップに注いで飲んだ。「国が前に進む」って、なんかかっこいい言い回しだったけど、それって一体どういうことなんだろうな、と考えた。 

私がこの部屋を出て日本に戻った2013年、エジプトでクーデターが起こった。革命後に選挙で選ばれた大統領は引き摺り下ろされ、軍政が復活した。
私は当時、そのニュースを聞いて真っ先に彼のことを思い出し、彼や、母国に暮らしているという彼の家族のことが心配になった。しかし、深夜のコンビニで立ち話しただけの人の連絡先など知っているわけもなく、よくよく考えてみると、彼の名前も知らなかった。

「前に進む」とは、一体、どのような状態を指すのか。「前」とは、360°のうち、どの方向を指すのか。このことが胸の裏側にずっと引っかかったまま、10年を過ごしている。
きっと、10人いれば10種類の答えがあるだろう。78億人いれば78億通り。だから、中には前に進みたくて暴力を振るう人がいても、何もおかしくないのだった。そのことに気付くまで、長い時間がかかった。

今回のことは2月の終わりにいきなり始まったことではなく、振り返ればずっとずっと長い間、いつだって起こりえたことだと思っている。
だから、「まあ、プーチンとメドベージェフの双頭体制になったんだし、何か変わるんじゃない?てか、専門じゃないから関係ないし」ぐらいにしか思っていなかった10年前の自分を恥じている(人はどのような状態でも常に社会・政治と繋がっていて、そこから切り離すことは出来ない)。その後の人生でも、ある国の指導者や歴史上の過ちをおもしろおかしくギャグとして消費する人たちに、「これって危険じゃない?」と言ってこなかったことを恥じている。
恥じて、反省しているから余計に、凄惨な現状に対し、強い憤りと焦りがある。

一刻も早く不安な日々が終わり、私たち全員が「前に進む」ことができるよう、できる限りのことをしたい。少なくとも10年後の自分を悲しませない方向の道を選べば、360°のうちどっちの道が「前」なのか、自ずと見えてくるだろうと信じたい。
とにかく、今後の人生でもう二度と、こんな思いはしたくない。