【読書メモ】『現代日本の代替養育における<家庭的>概念の意味とその論理』


『現代日本の代替養育における<家庭的>概念の意味とその論理』

日本社会福祉学会の発表資料。

https://www.jssw.jp/conf/68/pdf/E05-04.pdf

・「新しい社会的養育ビジョン」:より<家庭的>であるとされる里親やファミリーホームなどが促進された

代替養育が<家庭的>であるべきという言説…戦後、子どもを公的の保護する仕組みが整備されたころからある。近年さらに強調されている(なぜだろう?)

⇔しかし、それってそもそも本当に自明で妥当か?

 *そういうクリティカルな問い、超好き!><

そもそも<家庭的>という言葉に含まれている「家庭」という概念自体が近代以降の構築物に過ぎず、その意味は時代や地域によって異なる(c.f.落合恵美子1985)

・Familyの翻訳として「家庭」という言葉が頻繁に使用され始めたのはいつからか?→1887年(明治20年)

【研究結果】

●政策における<家庭的>概念

①小規模性 ②継続性 ③個別性 ④愛着関係 ⑤地域性

*それぞれが重なったり関連しあっている気もする。

継続性&個別性→愛着関係みたいな。

◎<家庭的>と「専門性」との葛藤

子育ても、介護も、技がいる…ようには感じる。

保育の仕事してるひとと、介護の仕事してる人と、家族…

子どもの心を癒す機能?

◎<家庭的>の定義の困難性

定義しなくていいよねー!と、考えて迷宮入りするたびに思う。。><

家族の多様性や、変容・・・

●養育者にとっての<家庭的>概念

・衣食住のイメージ

 特に食。一緒にご飯食べるのは大事、というのはなんか感覚的には共感する。

・子どもと養育者の関係性に関する意味

特定の大人との継続的な愛着関係が形成されること、が養育者としてたいせつ?

専門里親とは?🤔

いわゆる一般的な「家庭」でも100%はできない気もするし。

うーん、機能不全家族、とか、なんだろうな。家族って機能しないとだめなの?とか、おもっちゃうなぁ~

そんなに完ぺきな家族をめざしたら大変な気がする。

・施設養護の人は、生活のあり方を第一に挙げる。家庭養護の人は、子どもと養育者の関係、特に特定の大人との愛着関係の形成に重きを置いていることが分かったそうだ。

・シェアハウス、コミュニティの場合はなんかその両方というか間のような気もする。そしてもちろん、そこにとらわれなくてもいいんだと思う。

●<家庭的>の多様性と定義の困難性

困難性の指摘→現代の家庭とかつての家庭の比較の中でされることがほとんど。

家庭が多様化してるから、かな。

かつて、って、おそらくAlways3丁目の夕日的な頃かと思うけど、ほんとにかつては、多様性少なかったのかなー? 祖父母の家いったって、まぁ形は似てるかもしれないけど雰囲気はそれぞれな気もするけどなぁ。多様性が表出されやすくなっただけ、ということもあるのでは?

【考察・まとめ】

・<家庭的>のイメージは様々だ!

・<家庭的>と(ケアの)「専門性」は葛藤をはらみつつ結び付けられたり切り離されたり、複雑

・政策の中でも<家庭的>の定義が困難という声が聞かれている

・<家庭的>を定義するより、その中に考えられうる要素①小規模性 ②継続性 ③個別性 ④愛着関係 ⑤地域性それぞれを手掛かりにしていくとよいのでは(→共感。パートナーシップもそんな気がするよ。)


雑駁メモでした。

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