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愛猫の死


ミーシャ

noteで書く最初の記事がこのような悲しいものになるとは思わなかった。
読み返して悲しい気持ちになるものなら書かないほうが良いのかもしれないと思ったけれど、これも私とミーシャの大事な思い出であるので書き留めておこうと思う。私自身同じ喪失を味わった方の手記に救われたのもある。もっとも以前は想像するのが恐ろしくて避けていた部分もある。

本当に何の前触れもなくあまりに突然の別れだった。確かに前より歳をとったなと思うところはあったけれど、食欲もあるし排便も毎日あったし、特段おかしなところはなかった・・・と思う。よく寝るようにはなっていて、それも押入れの2段目にヒョイと飛び乗っていつものように寝ていたし、動きが鈍くなっているとも思わなかった。

前日夜も私がペットで本を読んでいると腹の上に乗ってきてゴロゴロ言って一緒にまったりしていた。ミーシャの毛並みは触り心地抜群で幸せな気分になれる。

その日の朝は起きるといつも通り私の足元で寝ていた。時期ごとに寝る場所が変わるので、少し前までは押し入れで寝ていたが、ここ数日は私のベッドに乗ってきて一緒に寝ることが多かった。起きた時見たミーシャはのんびりとしていて、おはようと言って私は布団から出て朝食を取りに行った。それもいつものことだった。
私は朝食の後ストレッチをする日課になっていて、その後仕事をしようとお茶を持って仕事部屋に向かった。階段を登るとミーシャが寝ているのが見えた。こんなところで寝るのは最近では珍しかったが、夏の暑い日はよくそこで寝ていたので、今日は少し気温が高いからまたここで寝るようになったのかなと思った。
だがすぐにそうではないとわかった。
ミーシャが倒れていた。意識がなかった。少しだけ唾を吐いていた。
すでに手足が少し冷たくなっていた。
今まで一度もこんなふうに倒れていたことがなかった。
頭が真っ白になった。

父を呼んで動物病院に連れて行ってもらった。
一瞬だけ目を覚ました気がした。私をじっと見つめていた。
「お願い頑張って」と言った。
これは私の願望だったかもしれないけど
あの時一度戻って来てくれたんだと思いたい。一瞬体温が戻った気がする。
今となっては本当にそうだったのか確かめようがないけれど。
ミーシャはいつも私をずっと見つめていてくれた。
この時もじっと私を見てくれた。
これが最後になるなんて。

動物病院では心肺蘇生を行ってくれたがダメだった。
死因は確実なことはわからないが内臓かどこかが破裂したのかもしれないと
言われた。せめてもの救いはあまり苦しまなかったことだと言われた。

私はタオルに包まれたミーシャを抱いて帰りの車でわんわん泣いた。
まだ暖かかった。まだ柔らかかった。
こんなにいきなりいなくなるなんて思わなかった。

2日後に市の斎場で火葬をしてもらった。
ペット葬を頼むことも考えたけれど、家族以外の人間が嫌いだったミーシャは
知らない人が来るのは嫌だろうと思って家族だけで完結する形にした。
それに市の斎場で焼いてもらったほうが確実にミーシャの骨を自分で拾えるので
良いと思った。
好きだったおもちゃと花と毛布を一緒に焼いてもらった。
職員さんはとても親切に丁寧に対応してくださった。
とても良い天気の日で森の中の斎場の空気は爽やかだった。

骨は庭に埋めてその上に花を植えるつもりだ。


1週間が経ち、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
まだまだ生きてくれると思っていた。何なら猫又になって永遠に生きてくれてもいいと思っていた。

本当に私はミーシャに命を救われたと思っている。
本当に沢山愛をくれた。
どこにでもついて来てくれた。何をするのも一緒だった。
いろいろな思い出にミーシャが一緒にいいる。
今一緒にいないのがとても寂しい。
寂しいなあ・・・。

SNSではたまにあげる写真程度でしたが、今まで愛でてくださってありがとうございました。


ミーシャ、私のところに来てくれてありがとう。
またいつか会おうね。

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