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他人に何かを勧める動機

変な時間に目が覚めた。
昨日、今日と20時頃からの記憶がなく気がついたらソファの上で寝ていた。梅雨入りしたからだろうか。ちなみに沖縄は梅雨明けをしたらしい。むしろ梅雨入りしてたんだ。知らなかった。

ここ数日少し考えていることがある。
「他人に何かを勧める動機」とは何なのだろうか。日々生きていて、「〇〇がよかったよー」とか「〇〇おすすめ、よかったら買ってみて」とかそういうのはよく聞く。よくある会話の一つで馴染みはあったのだが最近ふと疑問に思った。
それも会社の同じ部署の寡黙な先輩が投資について勧めてきたから。勧めるというと強要されているように捉えられるかもしれないが、そんなことは一切ない。投資というと危ないイメージを持つ人もいるかもしれないが、私は別に知識不足なだけなので興味はもった。
ただそれとは別に「なぜこの人は勧めるのだろう。何が動機なんだろう」とその方面で気になってきてしまった。よくある勧誘でその人にキャッシュバックがあるような話でもないし、かなり堅実なもので怪しくもない。この年齢になると損得で人を騙す人もいるなか、普段人と話さないタイプの人が熱心に布教する理由が分からなかった。
「みんなの将来のことを思って」なのか。それも違う気がする。「みんなで始めて討論して知識を高め合いたい」のか。それこそあり得ないタイプだ。もしかしたら好きだからただ話しているのだろうか?そのジャンルが"投資"というだけであって、なんらただの趣味を語っているだけにすぎないのだろうか。

なんでそんなに親身になって教えてくれるんですか?あなたに何のメリットがあるんですか?どうなるのが理想ですか?と色々と質問攻めしたいところである。投資の話は置いておいて。でもそこまで話す間柄でもないので我慢する。

世の中にはたくさんのものがある。良いもの、悪いものの物差しは人によって違うし、何にでもメリットデメリットがある。私は知識こそ宝だと思っているが、その知識を自分中に留める傾向がある。聞かれれば答えるけれど、聞かれない限りは話さない。そしてなぜかあまり聞かれない。色々聞くなというオーラが出ていると友人からは言われる。もしかすると、私は自分が宝だと思うものを他人がどう思うかが怖いのかもしれない。
その点、先輩は赤の他人に知識という宝を分け与えようとしているように見える。なんか眩しく見えた。私の次のステップのような感じがした。
知識ではなく、幸せの共有は相手に影響を与えすぎないので出来る。知識の共有は私にはまだレベルが高いようだ。なんかこれからの課題が見つかった気がした。これが出来るようになれば、先輩の動機が理解出来るようになるのかな、少し楽しみである。

会社からの帰り道、夜ご飯を調達して帰る道。何を食べるかによって変えていたけれど、実はこんなにも歩数の差があることに気がついた。家につく時間なんて考えたらことなかったから、距離的な差があるなんて思ってもなかった。これからはこういう数字的なものを見て具体的に知っていくのも面白いなぁ。

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