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原因ではなく目的を考える

今日は友人と電話しながら日を超えた。電話を切った後、数時間YouTubeを付けながらパズルゲームをして気がついたら眠りについていた。

8時に起床し、お風呂に入る。ストレッチをしながら音楽を聴く。メイクをしながら服を考え、着替えて家を出る。玄関を出た先は夏だった。なんだか酸素が薄いような気がした。まだ7月上旬の午前10時という事実に怯えた。

そして半年ぶりの美容院へ。大学生以降、美容院をコロコロ変えてしまうようになった。そもそも初めての人と話す場所は得意ではないし、初回に取り繕ってしまう。そのため初回のテンションを見誤ると2回目以降がしんどくなるのだ。全て私のせいなのだが。
今日行ったところも初めて行くところだった。事前にSNSをチェックさせてもらって直感的に好意を感じた人に担当してもらった。私よりも若かったが、髪の毛のプロで素直に尊敬した。
途中喋りすぎている自分に気がついて、二の舞になるのではと不安もよぎったが2回目以降も問題ない気がする。今の時点では。やはり直感というものは大事だと思った。自分のことは自分が一番知っている、直感は今まで自分が生きてきた中で経験したもの、そこから形成されたものだから、誰の直感よりも自分の直感こそが自分に一番しっくりくるものになる。誰がなんと言おうと、自分がそう感じたのだったらそれを信じればいいのだ。


日光を浴びたあとは睡魔が襲ってくる。
帰宅後、ルンバを起動させ、彼が徘徊する前に床に脱ぎ捨てられた靴下を回収。生き返った髪の毛を振り乱してソファに横たわり、気がついたら寝ていた。起きたらルンバは所定の位置に戻っていた。今日もありがとう。

私のお気に入りの場所、パソコンデスクへ移動して机の上を片付ける。殴り書きされたルーズリーフを集め、捨てるかどうかを悩んだ。結局これらの内容はまだ私の頭の中に定着していないので、お気に入りのノートに転記していった。そして気持ちよくルーズリーフをゴミ箱へ捨てることができた。

この流れで「超訳 アドラーの言葉」という本を読み始める。片手にはペンを持ち、目に止まる言葉をノートにメモしていく。本を読んでいる中で、知識や感性が潤う感覚に喜びを感じつつも、少しの違和感を感じている自分がいた。その違和感が何なのかを考えている段階。見えているのだがまだ言葉にならない段階。なんとなくだが、私には私の心理学があるような気がする。

自分の考えを理解するには情報が必要だと思う。本を読むことで、知識や情報、感性や世界をインプットすることができる。
頭の中はインターネットそのものだ。私の頭の中の住人がその情報を元に様々な物を作り出し、それが網状に広がっていく。そこは立体的かもしれない。
そしてここぞというときに私は検索欄を使う。今は調べたいことがあるけれども検索ワードが定まらない状態。空欄のままカーソルが点滅している状態。
もしかしたら逆かもしれない。検索ワードは決まっているけれど、検索結果が出てこないかもしれない。

今日気がついたこと、私が知識や情報を集める理由。
それはただ単に知識欲を満たすためだけではない。これはただの原因、過程であってそこには目的がある。その目的は私の中のインターネットを構築し、検索ワードから検索結果が出てくる状態を作り出すため。自分の中の自分の結果を正しく導き出すため。自己を深く理解し、それを正しく表現したいと思っているからでアル。頑張れ自分。

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