会議は休憩時間に入りますか?

入眠前にふと「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざが頭によぎり、1時間ほど経過した。そして今に至る。
0時前にベッドに入ったのに気がつけば2時である。圧倒的寝不足という人生の壁を横目にしながら寝る気はゼロになってしまった。電気を消したのに目が冴えてしまったので起きようと思う。そもそも私はいつから寝ないといけないと思っていた?

私が今こうなっているのは明日も会議というものがあるからである。ちなみに今日もあったし明後日もある。もう日付が変わっているので昨日今日明日なのだが。

私は会議が好きではない。理由はそもそもうちの会社のやり方にも問題があると思うのだが、会議をする必要性が見出せないからだ。突き詰めると会議に費やしている時間に対して内容が薄すぎる。会議は休憩時間なのだろうか、と入社した頃から思っている。バナナはお菓子に入りますか?と似ている。絶対に外では言えないが。

会議を行う目的はプロジェクトの進捗状態や抱える課題などの情報を共有すること、アイデアや意見出し、全員がその場で聞いて認識を一致させることが挙げられる。
全員の認識を一致させる、周知させるというところはまだ理解出来る。合宿みたいなものだろう。みんな同じ場所にいることに意味があるみたいな。
意見やアイデア出しに関しても、人との対話で頭の中を整理する人にとって、人が集まった場所というのが重要なのだろう。会話のキャッチボールをすることで思考が整理される人にとって、会議は意見交換会のような場なのかなと思ったりもする。私は逆のタイプなので地獄の時間になるのだが、必要としている人がいると分かれば別に拒否はしない。

でもどうしても「この議題、本当なら30分で終わったな」「やっぱり結局最初に出た案に収束したな」と思ってしまう。会議という場を私は重く考えすぎなのだろうか。その場で考えたり、話し合うって効率が悪くないか?とどうしても思ってしまう。あらかじめ準備しておけばいいのに…と。あらかじめ準備しておけばその段階で答えは出るじゃないか…と。
会議時間を決めたのならその時間内に終わらせたい。事前資料が送られてきているならば全員内容を把握して省ける部分は省きながら進行してほしい。時間は有限なのだから効率よく進めてほしいと思ってしまう。
でもつくづくこの考え方は独りよがりで傲慢だと捉えられやすいと感じる。どうすればいいのか、と考え抜いた結果、今のところはとりあえず黙って参加するスタイルに徹している。

おそらく私は効率厨で、人の会話に集中することに少なからず労力がかかる。こんなことは大人になったら恥ずかしくて言いたくないのだが。
人が話すスピードよりも脳の処理スピードは速いという。人が話して説明しているよりも、文章を読んだ方が多くの情報をより速くインプットすることが出来るはずだ。会議は人の話を聞かなければならない。意識すれば進行に合わせて話を聞くことが出来るのだが、あえてスピードを遅くさせる意味はあるのだろうか。今の私はそこに抵抗がある。効率が悪いような。時間がもったいないというような。この時間があれば別のことをした方が有意義だと思ってしまう。相手が話している間に話の先を読んでしまうので、気が付いたら頭の中が先に進んでしまっているような感じ。これを解決するには会議の進行を巻く、しかしそれが合わない人もいそうだ。それなら会議の内容の密度を高くする、これが理想だが他人が関わる以上難しいような気がする。
こんな葛藤をしているわけなのだが、最近は慣れてきてもいる。聞くタイミングを取捨選択するようにした。周りからはサボっているように思われるかもしれないが、その会議での自分の立ち位置や関与度によって変えるべきだと思った。会議というのは、電話や社内の人に不意に話しかけられる場から離れるわけなので、考え事が捗る場でもあった。ある意味休憩時間のような過ごし方をしているなと思った。なんか申し訳ない気もしたが、私からしたら周りの人の方が休憩時間のような過ごし方をしているように見えるので別にいいか、という結論。イマココである。

今の私が抱える課題はたくさんある。きっと会議にはもっと何か意味があるはずだ。考え抜いた結果、意味がなければ変えればいい。
目標は会議を無くすことである。その目標に向かうためにどうすればいいかを、明日の会議中に考えてみようと思う。

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