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空間把握能力を把握する

風邪をひくと脳がフル回転するので今日は私の特性を残しておきたい。なぜかそう思ったので思い立ったが吉日。書いてみる。

私の人生最大の悩みは「空間把握能力が著しく低いところ」である。
なぜ低いのかを考え続けていたのだが、長年原因が分からないままであった。しかし色々勉強していくにあたり、これらは私が今に集中しにくい人であるからということが分かった。そして目の前の空間把握能力は低いのかもしれないのだが、自分を含めたその場の把握能力が高いような気がするという持論が出た。なんというのだろうか、自分が見えている目の前のことは把握できないけど、把握できていない自分を遠くから見て把握する感覚。
その持論が出たとき、私は出来ないことに不満を感じているのではなく、出来ないことを認知している状態になった。すると、出来ないときはどうすればいいか、やらないといけないときにはどう立ち回るかを考えることが出来るようになった。物は言いようであるな。ふむ、とりあえず列挙する。

1.運転が出来ない

免許は持っているので、正しく言えば運転が出来ないのではなく、しないのである。(これ大事)世間のために私は車を運転しないと決心している。免許を持っているからこそ、この決断をしていることに意味があると思っている。こんな私でも免許が取れたのだから、同じくらいやばい人も運転しているはずなのだ。そういった世界の脆さを知れたのは強い。
後述されると思うが、私は自分の肩幅も把握できていない。そんな私が車を操れるわけがない。そして教習所でやったシミュレーションゲームで、私は道路に転がったボールを拾いにきた子供を轢いてしまった。正しくはボールを拾っているのを見届けて発進した後、謎にもう一度道路に戻ってきたところを轢いてしまった。ゲームだったのだが今でもそれがトラウマで運転が出来ない。なぜあの子は戻ってきたのだろうか、という謎と、ゲームにクリア出来なかったという悔しさが今でも鮮明に残っている。
しかし運転が出来ない一番の理由は、交通界にも社会があり、暗黙の了解のようなグレーなルールがたくさんあることを知ったから。教習所を卒業した私は今でも交通ルールをガチガチに覚えている。歩いていても自転車に乗っていても、それらが100%守られていない世界を見て絶望する。そんな私が真面目にこの界隈に足を踏み入れた場合、むしろ迷惑がられてしまうはずだ。そんなことを考えた結果、これは私の世界ではないと決着した。

2.球技が苦手

球技は集団競技が多いので、周りに迷惑をかけるのも嫌だし、そのわりに負けず嫌いなので本気でやってしまう自分が嫌なのもある。しかし一番の理由は自分の体を操れないのになぞの球体を操れるわけがないからだ。そしてふとしたときに「この球を必死に追っている理由は何だ?」と考えてしまい、一気に熱が冷めてしまう。あの虚無感はあまり好きではない。
そして何よりボールの距離感が絶妙につかめない。迫ってくるときは静止画に見えるのだが、気が付いたら奴らはどこかに行っている。初めてバッティングセンターに行った際、友人に「ボールが出てからバットを振ったら間に合わない。出るのと同時に振り始めろ」と言われた。本当に訳が分からなかった。「ではどうやって当てろと!?」となった。瞬時に色々と考えるなんて難しすぎないか。あれは未だに謎である。考える前に動け、とはこのことなのかもしれない。考えてからでないと動けない勢からすると、球技は息が詰まってしまう。
マシュマロを上に投げて口に入れる技なんかも出来た試しがない。まず投げるところから手と頭が分離するので、意思疎通が図れない。イメージトレーニングはバッチリなのだが、やってみると全然上手くいかない。出来ない自分に辟易する。
しかしボウリングは得意である。なぜだろうか。そもそもボウリングは球技なのか?というか球技とは何なのだろうか。

3.よく肩をぶつける

自分の肩幅を把握できていない。肩幅の成長が終わってから10年以上経つはずなのだが、未だによくぶつける。動きが速いタイプではないので、ゆっくり移動して気を付けているはずなのだが、なぜかぶつける。痛い。
もしかしたら肩幅が広いのかもしれないと悩んだこともある。そんなとき、ヤバイTシャツ屋さんの「肩 have a good day」という曲で救われたことがある。悩んでいる人がいたらこの曲をお勧めしたい。

4.飲み物や食べ物が口まで届かない

飲み物や食べ物をうまく食べられずこぼしてしまう時がある。汚いので辛くなる時がある。特に飲み物は流動体なので、傾ける角度と速さを間違ったときは致命的である。本当は口に当ててから傾け始めればいいのだが、考え事をしているときは油断してしまうようだ。そして私はゆっくり食べたり飲んだりするタイプなので、こぼれ出したらかなりの量が零れてしまう。頭では「あ、こぼれている」と思ってもしばらくそれを見てしまう。すぐに手を戻せないので、見ている友人は「なぜすぐ止めない!そしてなぜ焦らない!」と最初の頃はよく怒られた。とても反省しているので、今後は焦りくらいは出したいところである。
そしてこの症状は季節の変わり目に発生しやすいという持論がある。
ということは季節の変わり目は考え事をすることが多いということか?新しい気付きである。


ひとまず以上である。
今まで生きてきた中で、頑張れば出来るものと、頑張っても出来ないものがあることを知った。これらは頑張って意識しないと出来ないものたちである。いわば苦手なこと。
頑張れば出来るのであれば、頑張ればいいじゃないか、と言われるかもしれない。でも頑張りすぎても疲れてしまう。こういった自分の特性を知れば、やらないといけないときに「あ、少し意識しようかな」と思える。出来なかった時は「あ、仕方ないかもな」と思える。
これで十分じゃあないか。

しかし何でも出来るのはかっこいい。憧れる。
なので出来ないと高を括って、それらと距離を置いて鼻高々と生きることはしたくない。苦手という意識で楽しまないなんてことはもったいない。
…と頭で思うけれど行動に移すかは別の話なんですけれどね。
アリーヴェデルチ。

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