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目で見たままを写真に残せない謎

今日の始まりは憂鬱そのものだった。自分のことは自分が一番分かっているので、昨日の夜に美容院とヨガの予約をキャンセルした。迎えていない未来を想像して絶望し、答えのない事柄を永遠と考えていた。そしてふと我に帰り「生理前だから。梅雨入りしたから」という事実に基づいた根拠のない理由で自分を落ち着かせた。
深刻になりすぎたとき、自分の頭が暴走するとき、そんなときは自分を俯瞰してみると「あほらしい」となって少し楽になる。そんな日だってある。気分の波線が下がっているだけだ。長い目で見たらこの高低差は小さなものかもしれない。そう言い聞かせて自分の思考スイッチを切り替える。

私はコンタクトをつけるとスイッチが入る。今日はそれを利用して散歩をした。雨が降っていた。
長靴を履き、イヤホンをつけ、外に出た。目的はドラッグストアだ。買いたいものはない。ただ距離的に無理ない程度の無理をする距離でちょうどよかった。

ただの梅雨のはずなのに、雨も強くて風も強くてまるで台風のようだった。車ばかりで歩いている人はいなかった。なぜか心地が良かった。
歩いている途中、私は田んぼを見つけた。多分田んぼ。こんな住宅街の中にも田んぼがあるのか、と思った。そういえば会社の帰りに見たことがあったけれど、なぜか今日はその風景が魅力的に見えた。
そんなことを考えながらふと「写真を撮ろうかな」と思った。でもポケットにあるスマホに手を伸ばしたときには既に通り過ぎていたので諦めて歩き続けた。

ドラッグストアに着いた時、意外と出入りする人がいて「なんだ、いつも通りか」と気分が下がった。
店内に入ると照明が眩しくて、嫌でも頭がクリアになっていくような気がした。
いつもは用意する買い物リストは空っぽだ。なのに足は迷わず特定の場所へ向かう。ドラッグストアの文具売り場に来ていた。カオスである。
アロンアルファを手に取ってレジへ向かう。今思えば壊れたメガネを使い続けていたので、アロンアルファがあればまだ耐えると思って買ったのだろう。(尚、買い物から帰宅したら今もメガネ修理には取り掛かっていない)
そしてイヤホンを片耳外して商品を置いた時、気がついたらアロンアルファと共にチョコエッグが2つ並んでいた。
レジの雰囲気は湿っぽかった。店内には人が少なく、先ほどの出入りしていた人はなんだったのかと呆れた。レジの人にお礼をし、イヤホンを付け直して外に出る。お礼を言う時に目を見れなかった気がする。反省した。

帰りは行きと違う道を選んだ。そしてあえて信号を待つような道を選んでいた。普段と真逆である。
そして行きに見つけた田んぼにさしかかる。
歩きながらシャッターを押すとブレた。撮り直そうとした時に気がついたが、ピントを合わせるのに時間がかかっていた。だから1枚目はブレていたのか、と考えた。

これがその写真だ。行きに感じた魅力はなんだったのだろうか。ただの草ではないか。そしてこのnoteを書いている今は人の肌のように見えてとても気持ちが悪い。誠に遺憾である。

ただ写真を撮るという行為が久しぶりすぎたので残しておきたかった。健康診断の帰りぶりなので去年ぶりだろうか。確かその時はスマホを出すのが面倒で撮らなかった。
なぜ私は写真を撮らないのだろう。理由は色々ある。写真を撮っても見返さないので正直なところ無駄だと思ってしまう。そして写真を見返したときに「なんだこの写真?」となってしまう。自分の撮影技術に絶望するのだ。そうなるなら目に焼き付けておいた方が有意義だと思うタイプなのだ。まぁ記憶からも割と消えてしまうのだが。同じように思い出というものにも私は重きを置かない。簡単に言えば「どうでもいい」タイプだ。こういうことは普段隠すけれども、今日みたいな日は深く考えてしまうなぁ。


昨日の夜から映画1本、ドラマ1クールを見終わった。そしてLINEの通知が溜まっている。
どうやら私はエネルギー切れのようだ。しっかり充電していこう。
そういえば今日はチョコエッグしか食べていない。食べねばだ。しっかりと生を感じていかないとな。

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