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私にとっての買い物

先日の三連休、姉と買い物に行くことがあった。
そこで姉との違いが明らかになったので残しておきたい。

姉は買い物に行くと何時間も帰ってこない。実家に帰るときによく待ち合わせをするのだが、私が着く時間より何時間も前に着いても苦なく時間を潰している。むしろ私が待つときさえある。
何をしているのか聞くと買い物をしているという。確かに買っているものもあるのだが、その数にしては時間が使われすぎているように感じていた。色々な店舗が集まっているショッピングモールのようなところだとより楽しいらしい。ブラブラ歩き回るだけでも楽しいらしいのだ。

私は逆のタイプなのだが、正直それが羨ましいと思っていた。
ブラブラ歩くというのは私の頭では「目的なく」という言葉に変換されてしまう。姉の場合は逆にそれが楽しいのかもしれないが、私にとってはむしろストレスに近い。買い物をするときはお店を回る順番を決めているし、買うものも決めている。
だから立ち寄る予定以外のお店には見向きもしない(できない)し、買う予定のもの以外を買うことがほぼない。買おうと思っていたものがなければ買わないし、代替品があっても決めているものでなければ買わない。0か100のような感じである。買い物途中で喉が渇いたからお茶をしよう、というよりも、全部買い終わった!やること全部終わった!じゃあお茶して帰ろう。いや、帰ってからお茶を飲むか、となる。
(ふと思ったが、私は自転車に乗るとなるべく地に足をつけずにずっと走り続けたいと意地になる時がある。遠くの信号が赤になったらスピードを調整し、私が着く頃にその信号が青になるようにする。常に動いていたいのか?もしかして私はせっかちなのか?)

私が買い物をして「楽しい」と思うときは、お店を効率よく回れて、事前に調べて買おうと決めていた目的のものを手に入れられたとき。欲しかったもの・求めていたものが手に入ったということよりも、その過程がいかにスマートであるかで満足度が変わるような気がする。満足しているはずなのだが、たまーに計画的すぎてつまらなさそうな人だなと思ってしまうことがある。
姉と一緒に買い物をすると、ぼーっとお店の中を見て、ぐるぐる回って、何をしようかソワソワして、姉の近くに行ったり離れたり、そういったことをしているとたまに面白いものが目に入ったりする。そういうのに出会うとちょっと楽しい、良いな、と思ったりする。姉は私そっちのけでマイペースでお店を回るので、ついていくだけでもちょっと楽しかったりする。自分の選ばないルート、いつもなら出会わないものに出会うワクワク感。少し期待していたりする。

姉にとって買い物は「狩り」のようなものらしい。買うものはあっても、それよりも良いものがあれば予定を変えるし、予定外のものを買ったらその分は別のものを我慢したりとバランスを取るらしい。
姉から見た私の買い物は「収穫」に見えるらしい。なんか面白いなと思った。

私は姉の悩む時間、色々なものをみて知見を広げる感じ、そういった時間がとても有意義に見えて羨ましく思っていた。
逆に姉は私の行動が計画的で、他に見向きもしないところ、決断力があるように見えてかっこいいと言ってもらった。(うれしい)

でも私は狩りのような買い物をする人が誰でも羨ましいと思うわけではない。
その理由を考えたところ、それが姉だからだった。
自分には共感できなくても、その楽しみ方が理解出来れば大丈夫かも、と思ったりしたが何か違った。一番しっくりくるのは「姉と妹という関係だから」というものだった。なんてこった。
しかしこれが本音である。想像してみたが他人だと結構きつかった。どこか我慢している節が出てきていた。じゃあ私は姉以外とブラブラ買い物が出来ないということなのか?そこが課題である。

過去にストレス回避のために「何時に○○集合で」という別行動を提案していた時期もあったが、突き詰めた結果「じゃあ一緒に買い物に行く理由は何なのか」となってしまったことがある。そして「一緒に出掛けているんだから一緒に回ろうよ」と言われてしまう。それも一理ある。
この差は何か。それは私が相手をどれくらい理解しようとしているかなのではなかろうか。そして重要なのは、理解したうえで歩み寄ろうとしているかということだった。ストレスを感じる、というのは歩み寄ろうとせず突っぱねている態勢からきていると考えた。一旦、歩み寄ろうという態勢になれば、何か感じ方が変わるような気がする。
学生の頃、球技の試合中は膝を曲げておけとよく言われた。体制が大事だと。棒立ちだとすぐに動けないぞ、と。それと同じである。

なんかすごく成長できそうな気がするので今日は満足した。
お風呂入って寝るぞー。

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