理科の実験

 理科の実験って、子どもにとっては、最高のエンターテイメントの一つのはずです。初めで出会うドキドキとワクワク。見たことのない、予想外の変化。もしくは予想通り、自分の知識や経験から導き出される予測と同じ現象を「やっぱり」「予想は正しかった」と腑に落ちる瞬間。

 知識として、予め知っていて、興味なさそうにしている「ませた」子どもだって、実際に目の前で起こる現象を感じ、面白く感じないわけがない。だって、ビンビンに自分の五感を刺激するから。少なくとも机に座って黒板とにらめっこの授業より楽しさ100倍。なはず。

 難しいことは抜きにして、理科の実験って、他の授業よりも体験的・体感的なので、面白いはずなんです。実際楽しいし、子ども達も喜んで行っています。

 でも、私の周りでは理科嫌い、理科離れの子が多い。世間でも似たようなことを聞く。明らかに私たち教師の責任が大きいのだろうが、いったい何が起きているのか?

①実験そのものをしなくなった。安全で、どの子にもしっかりと学習できる実験をしようと思えば、それなりの準備が必要になります。学校って、多分皆さんが想像している以上に予算が少ない。びっくりするくらい少ない。例えばビーカーとかフラスコすら、子どもたちが満足に実験するための量を確保することができない(買ってもらえない)ので、私なんかはペットボトルとか別の物で代用する。そうなるとますます準備に時間がかかる。それから、多かれ少なかれ、実験には多少の危険も伴う。さらには、大切にしすぎて、マッチ一つ使えない、カッターなんてとんでもない、そんな子ども達に安全に実験させようと思えば、あり得ないくらい準備と先回りが必要(それがますます子ども達の能力を奪っていることは十分承知ですが、世間や保護者の批判を考えれば、無理)。そういう理由で、実験しないで終わらせるから面白いわけがない。単なる知識の詰め込み、理論を覚えるだけ。

②実験をしようと思えば、例えば「仮説を立てる(予想)→実験方法の検証→実験→結果をまとめる→結果から分かる事を考える」といった手順を踏みますが、それにはたくさんの時間がかかります。というより、たくさん時間をかける必要があります。例えば、仮説を立てるにしても、様々な視点から様々な考えを出し合う時間が必要です。例えば、実験一つにしても、あれこれ試行錯誤が必要、時には失敗を繰り返すことも必要です。でも、学校ではそれを許す時間がない。現実的な話をすると、45分授業が週に3回程度しか理科にはあてがわれてない。そんな時間で、子ども達が思いっきりのめり込んであれこれ試行錯誤したり活動する時間なんてないっしょ。だから、あらかじめ惹かれたレールの上を走って行くだけ。面白いわけがない。さらに、今の指導要領では、それらの実験結果を「表現」する力を重要視しているので、例えばレポートにまとめさせるとかをするのだけれど、ますます時間がかかる。

③今の理科が、あまりにも「理論」「真理」を追究しすぎているように思います。それ自体はとっても大切ですし、それが理科の目指す方向性である事も理解しているつもりです。でも、それよりも、もっと、「不思議だなあ」「面白いなあ」「すごいなあ」「もっと知りたい」という至極単純な感情こそスタートとして重要視する必要があるように思います。そこからしか始まりません。

 だから、私にしてみれば、「理科が嫌い」っていうこが、逆に信じられないのです。私自身が授業が上手だなんて思っていないですが、当たり前のことを当たり前に(多少準備などに時間がかかるけれど)するだけで、子ども達は意欲を出して理科を楽しんでくれます。

 一つ言い訳をさせてもらえれば、以前より教師の仕事が格段に増えた事も一因だろうと思います。

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