仕事は段取り八分で決まる

 とは、よく言われることです。

 でも、私の場合は、95パーセントくらいでしょうかねえ。

 ありとあらゆる段取りや準備をしておかないと、不安になります。ていうか、丸腰で子ども達の前に立って授業をしたりできません。だから、毎日授業準備に時間がかかります。

 当たり前の話ですが以前に使った授業のネタやテクニックが通用するかといえば、そんなことはない。子どもが違うし、学習指導要領も変わって教科書なんかも変わってきます。確か戦後6回もの改定を経ています。次々と変わっていく教育方針に、現場も対応するのが大変です。でもまあ、一番影響を受けるのは子ども達ですけど。特に改定の過渡期に当たった子ども達は、一学年違えば学習したことが違う・・・なんてこともあります。

 ちょっと話がずれましたが、今回は、段取りの話でした。言いたかったのは仕事をするには準備が必要だと言うことです。特に、面白くなかったり興味がなかったりすると、とたんに集中力や持続力のない子ども達を相手の仕事ですから、準備不足の授業は、子どもの様子が鏡のように映してくれます。

 中には、子どもというものはこちらの予想や想像を遙かに超える思考や行動をすることがある(それは良い意味でも悪い意味でも)ので、ある程度の準備をしたら、あとは、出たとこ勝負しかない、それが教師の腕の見せ所だとばかりにいう先輩方もいますし、確かにそういう方々の授業を見ていると、さすが!と思える部分もたくさんあります。ぐだぐだの先輩もいますが・・・

 でも、私はそういうまねごとができません。また、「経験や勘」で勝負するとそういう先輩方に永久に勝てるはずがない。だから、できる限りの準備をして望むほかない。勉強するしかない。自分はそのやり方しか知らないので、今後もそうしていくほか道はないように思っています。

 でも、どうも、若い子にはそういうやり方は、非常に無駄が多くて、合理的でないと感じるようで・・・確かに、何時間もかけて作った教材が全く子ども達の思考の助けにならないこともたくさんありますし、一日がかりで作った教材の出番が5分だけ・・・なんてこともあります。(それでも、子どもの学習の手助けになった瞬間があるなら、またそれを実感できたら、時間なんてどうでも良くなってしまうのですけど・・・)まあ、若い子に認められるためにやっているわけではないので、いいのですが、やっぱり、「しっかり準備をして事に望む」という仕事の基本(ですよね)は身につけてほしいなあ、社会人として。とは思います。

 「”教科書を教える”のではない”教科書で教える”のだ」とは教師の間では多分有名な言葉。でも、合理的で最短距離の教科書を教えている先生はたくさんいます。

 つまり、この言葉からも分かるように、私たちは、どこかで「知識やテクニックの伝授者」ではない事を認識しておかなければいけないと言うことなんでしょうね・・・また話がずれました・・・



 

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?