見出し画像

【縮毛矯正をやめてカーリーヘアに】はじめに…

はじめまして!アレクシス涼子と申します!

都内の企業に入社して4年目。
毎日の満員電車にもまれながら、自宅と会社の往復を続ける日々の中で
「仕事以外に、何か私だから出来ることはないか…」とこれまでの人生を
振り返っていたとある日、、、ランドセルを背負った1人の女子小学生を見かけました。

健康的な肌色と、黄色い帽子に収まっていないフワフワな髪の毛。

その瞬間、もう20年近く前のことなのに私がその小学生と同い歳
だったころの記憶が鮮明に蘇りました。

私は、アメリカ人(黒人)の父と日本人の母との間に生まれた
いわゆる”ハーフ”。肌の色は暗く、地毛は縮毛。

今回、私がここでお伝えしていきたいことは、
「ハーフで苦労した体験談」「人種差別に対する意見」
では全くありません。

伝えたいのは「髪の毛」のこと!人種は正直関係ありません。
たまたま私がハーフだっただけのこと!

私は5歳の時に、母と弟と一緒に日本に越してきたこともあって
育児に忙しい母は、ふわふわでまとまりのない私の髪の毛に縮毛矯正をかけました。”かけた”というより、”かけさせてくれた”が正しいですね。

お手入れが大変という理由よりも、
「目立ちすぎる」という理由が1番だったと思います。

特に小学校側から髪について指摘されたわけでもなく、
自主的に、みんながしている「ストレートヘア」憧れていたのです。
これは純粋の日本人の方でもくせ毛の人がストレートヘアに憧れを持つ感覚と全く同じです。
ただ、私の髪の毛は「くせ毛」の範囲を超えた「超くせ毛」だった。

5歳の時から縮毛矯正をかけ続け、
19歳の秋まで2カ月に1回、地毛が伸びて目立ってきた根元に縮毛矯正をかける生活を繰り返していました。

18歳のとある日。
代々木公園で行われていた「ハーフ会」という
ハーフや外国籍の人が集まって音楽を聴いたり踊ったりワイワイする会に参加しました。
私がそこで衝撃を受けたのは、

「みんなボリューミーなクルクルの髪の毛を活かしておしゃれしてる…すっごく可愛い…仲間になりたい!!!」

これが私が19歳までかけ続けた縮毛矯正をやめ、
地毛のカーリーヘアで生きていく事を決意したきっかけでした。

以降、私がどのようにして縮毛矯正から地毛のカーリーヘアに
戻す事ができたのか。それまでの過程や、カーリーヘアのお手入れ方法
等について今後ご紹介させて頂ければと思います。

Alexis Ryoko



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?