俺とチョウジ


■放サモを始めるまで

放サモを意識したのは、Xでフォローしている人が放サモを始めて、楽しそうにポストしているのを見た時だった。

すぐにインストールしなかったのは、今まで全く触れてこなかったジャンルであるというのも一つの理由だったが、なによりも時間がなかった。

当時は少し無理な働き方をしており(定時には帰るが、11連勤がたまにある)、婚活もしていたし、事情があって、週の半分ほどは実家に足を運んでいた。

ソシャゲもほぼ引退、参加していた一時創作企画からも離れ、趣味といえば虫が捕食される動画を見ることくらいだった。


当時、一番の問題は婚活であった。

「まぁ、やらなかんか……」くらいのモチベーションで始め、結婚相談所みたいなのに登録し、会話が成立する人とお付き合いしたが、上記のような事情もあって、お付き合いから1年は経とうかという頃には、1カ月に1度しか会わなくなっていた。

するとどうなるか。
相手が病んでしまったのである。


これに関しては大部分、私が悪い。

そもそも自分は人を好きになったこともなければ恋愛に憧れを抱いたこともない。

その辺の事情は説明して「恋愛感情はない」と言い切り、承知してもらったうえでお付き合いを継続していたのだが、そんな意識の差があって、関係が続くわけがないのである。

結婚に向けてあれこれと要求が増えていく中で窮屈に感じてしまい、相手のメンタルを支えるだけの度量もなく、結果的に関係を断つ判断に至った。

一時はストーカーに発展するのではないかというくらいこじれたが、特にそういったことはなく、いまは距離が置けている。


この経験は私に
「人と付き合うとか無理すぎる」
という教訓を刻んだ。


というか、あまりにも他人に関心が持てない自分に絶望した。

お付き合いしてくれていた人はたぶん私にも関心を向けられたかったはずなのに、私は関心を持てるポイントを相手に見つけられなかった。
関心を持つ努力はしていたが、全く実らなかったと言っていい。

故に、己の感受性の乏しさに引いた。


こうして私は人間を理解するまで人里に降りてはならぬと己を戒め、
婚活に限界を感じて一旦休むことにしたのである。


さて、時間ができた私は、新しいことを始めようと考えていた。
そこで目に留まったのが、放サモである。

例のフォロイーさんのポストが目に留まり、
「長続きしないだろうけど、気分転換に」と始めた。

時期は2023年9月末。
サマーバカンスのイベントがちょうど終わったところだった。


■楽しい

とりあえずメインストーリーを進めると、
想像していたよりも、王道で面白かった。

初めてジョジョを読んだ時と同じ感覚で、癖のある未知の味がするだろうと思っていたら、定番ながらも作りこみが丁寧で個性もある。
これは確かに面白いなぁと思いながら、2章くらいが終わった。


そのあたりで、
『【復刻】サンシャイン・クリスマス ~聖夜を奪還せよ!~』
が始まった。

イベントストーリーを読むのは初めてである。

ピックアップを見ても、触れたことのないジャンルのキャラ(ぽちゃ、ケモ、おじなど)が並んでいて、私がハマるとは到底思えない。

しかしストーリーの面白さは信頼していたので、しっかり読むことにした。
(私はソシャゲのストーリーを全てスキップする悪癖がある)

期待以上だった。

最初に驚いたのは、イツァムナー先生のストーリーである。
「おじいちゃん」に分類されるキャラクターの「後悔からの立ち直り」の話だったと思う。

ご長寿キャラは視座が高く、後悔を繰り返さないために若者に助言をくれる立ち回りが多い印象がある。
しかし、イツァムナー先生は少し違う。
年を重ねても自分をアップデートしているのである。

個人的には結構な衝撃だった。

本当に視野が狭くて恥ずかしい限りだが、自分は年を重ねた末には、成長や変化の余地はなく、渋く熟していくばかりだと考えていたのである。

もちろん、イツァムナー先生の柔軟な思考のなせる技ではあるのだが、いくつになっても、後悔と向き合って前に進むことはできるというストーリーは、どこか励まされるものがあった。

これだけで「良いストーリーだなぁ」とは思ったのだが、ここで現れるのが

My Sunshine 飯盛チョウジである。


■チョウジに救われる

チョウジは異世界の住人ではなく、比較的平凡な部類だ。

私がハマりにくいものの筆頭ジャンルが、「日常」「青春」「ほのぼの」「恋愛」である。
ラブライブで号泣するとかの例外はあれど、多くは見ても「?」が頭に浮かびがちだ。

チョウジはその最たるキャラクターで、日常と青春を担っているように見えた。
強烈な個性で殴られないと殴られたことに気づかないような、感受性の乏しい自分とは相性が良くない。

もう何から何まで馴染みのない世界だ。さすがにこれはハマらないかも。


泣いた。

いやほんとに、泣き所ないだろと思うんですけど、泣いてた。

年を重ねたからか、高校生のチョウジが夢に向かってひたむきに頑張る姿が眩しかったのだと思う。

なにより、一人で歩いていけそうなチョウジが、
あんまり役に立ってるように見えない主人公がそばにいることに喜んでくれるのが嬉しかった。

一人でも充実して生きていけるのに、一緒にいたいと思うこと。

夢中になっていることがあっても、無理にでも時間を取って会いたいと思うこと。

こういうのが「愛」っていうんだなぁ、と初めて知った。

いろんな創作物の中にある恋愛模様を見て、ずっと腑に落ちていなかった部分が急にストンと収まった感じ。ようやく体得したような心地。

チョウジにもらった愛情の分、チョウジを一生幸せにしたいと思ったし、
絶対に悲しい顔をさせたくないと思った。

あと特殊が本当にスケベだった。「夢か?」と思ってとりあえずすぐに読み直したし、夢じゃないことにびっくりしすぎて日に3回くらい読んでた。
平凡とか言ったけど、スケベ度は全く平凡じゃない。CERO確認した。


さて、良くも悪くも、自分はキャラクターに対して(もしかしたら生身の人間に対しても)本気で「幸せになってくれ」と思ったことはない。
そもそも幸せになるかならないかはそいつの勝手だし、私の考える幸せはそいつの幸せではないかもしれないし……。

だけど、ここで初めて
「チョウジの思う幸せを知って、チョウジが幸せになれるように応援したい。関わりたい」
と思ったのである。

「人を好きになると、『相手を知りたい』って思うんだなぁ」
と目から鱗が落ちた。

人でなしが過ぎるが、自分は本当にそんなことも知らなかったのである。
マジで、人間との関わりを断ってきたオタクはちゃんと反省した方が良い。


こうしてチョウジを好きになってたくさんのものを得たが、
「『自分は関心が持てないだろう』と思っていたものを好きになれた」
という実感が何より救いになった。

そして好きになったのが、
心優しくて、夢を追ってキラキラした、等身大の男の子
であったのも大きい。

こんなに真っ当で良い子を好きになれた自分は
真っ当な感性がある気がしてくる(そんな因果関係はないけど……)。

チョウジのおかげで
「これから自分は誰かを好きになることができるだろう」
という自信にもなったし、
諦めずに、もう少し人と関わってみようという気持ちも芽生えた。
いまは木陰に隠れつつ、人里に降りる練習をしている。

チョウジの誕生日をお祝いできるのはこれで2回目。
生まれてきてくれて本当にありがとう!
ずっと幸せでいてね。

愛をこめて。

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