セブン / SE7EN

1995年の公開以降、サスペンス系の映画作品に多大な影響を与えたデヴィッド・フィンチャー監督の代表作です。

26年経った今でも色褪せない力強さがあり、他に類を見ないオリジナリティ溢れる展開や犯行の描写、そしてエンディングのインパクト。

単なるクライム・サスペンスではなく、ベテランと若手刑事のアクション映画でもない、孤高の存在感が本作にはあります。

ストーリー紹介 (-∀-)

雨の日曜日。 定年を間近に控えていた殺人課の刑事ウィリアム・サマセットは、今朝も身支度を整え、現場に向かいました。

夫婦喧嘩の果てに、妻が夫を殺害した現場。
毎日、当たり前のように続く凄惨な事件。
子供が犯行を目にしていなかったかどうか、サマセットは気にかけていました。

その現場を捜査中、ひとりの若い刑事が現れます。
転属でこの街に来たばかりの、デヴィッド・ミルズ刑事でした。

自分の上司となるサマセットと合流したミルズは、配置転換を希望してこの街にやって来ました。
刑事課に五年間所属し、雑務ばかりやらされてウンザリしていたミルズ。

刑事として活躍するべく、犯罪の多いこの街にやって来た野心溢れる若手刑事を、サマセットはこの街の先輩刑事として釘を刺しました。

「お前は黙って見てるだけでいい。 七日間は大人しく見てろ」 その言葉に納得がいかないミルズ。

次の日の月曜日も雨。 その日もサマセットとミルズは別の現場に向かいました。 男が変死しているという現場で、その部屋は電気も点きませんでした。

暗がりの中、懐中電灯で部屋の様子を照らし、捜査を始める二人。 テーブルに置かれたスパゲッティの皿に、椅子に座った状態で顔を突っ込んだまま絶命した男。 身体は酷く太り、両手両足を縛られ、後頭部には銃口を押し付けたような跡もありました。

検視官が死体を調べたところ、男は12時間以上も連続で無理矢理食べさせられ、喉は腫れ、やがて気を失い、最後は犯人に腹を蹴られて内臓が破裂したのではないかというのです。

「何か意味がない限り、こんな手間はかけない」
これは連続殺人の始まりだと、サマセットは自分の見解を話しました。

定年間近だということを理由に、捜査担当から外して欲しいと分署長に訴えるサマセット。 経験がないミルズには捜査担当は無理だとも進言しますが、この事件はサマセットに担当してもらうと分署長に押し切られてしまいます。

火曜日。 著名な弁護士のグールドという男が、自分の弁護士事務所で殺害される事件が発生。 マスコミも押し寄せ、テレビ中継も入るなど現場は騒然としていました。

捜査担当者はミルズでしたが、余りに異様な現場の状況に頭を抱えるミルズ。 床には被害者のものと思われる血で "GREED"(強欲)と書かれ、オフィスの机に飾られていたグールドの妻の写真は、目の周りが血で縁取られていました。

分署長はサマセットの部屋を訪ね、グールドが殺害された事件をミルズが担当していることを伝えました。

帰り間際、分署長は検視官から渡されていた肥満男の胃の中から出てきたプラスティックの欠片を置いて帰りました。 犯人が無理矢理食べさせたものらしいのです。

サマセットはプラスティックの欠片を持って、改めて肥満男が殺害された現場に向かいました。 注意深く現場を見てみると、冷蔵庫付近の床に傷がついていて、その傷とプラスティック片がピタリと一致。

冷蔵庫をずらすと壁には "GLUTTONY"(大食)と脂で書かれていて、さらには犯人が残したと思われるメモが発見されました。

"地獄より光に至る道は長く険しい"

署に戻ったサマセットは、メモの文句はミルトンの「失楽園」の引用で、これはつまり "七つの大罪" を意味していると言うのです。

GLUTTONY (大食)
GREED (強欲)
SLOTH (怠惰)
WRATH (憤怒)
PRIDE (高慢)
LUST (肉欲)
ENVY (嫉み)

「あと五つは起きる」
サマセットはこの事件の担当を改めて断り、ミルズに担当させてくれと分署長に話しました。

ミルズは自分がこの事件を担当すると豪語しますが、残忍で猟奇的なこの事件の、どこから調べればいいのかも分かりませんでした。

部屋に戻ったサマセットは事件のことが頭から離れず、思い立ったように部屋を出て図書館へ向かいました。 「カンタベリー物語」「ダンテ "神曲"」など、参考になりそうな箇所をコピーしてミルズのデスクに置いたサマセット。

水曜日、その日も雨。 ミルズはサマセットからの助言に従い "七つの大罪" に関する書籍を集めます。

数日後には定年退職するサマセットの部屋をミルズが使うことになり、二人でデスクワークをしていた時、ミルズの妻トレーシーからサマセットに電話がありました。 それは「今夜、自宅で夕食を一緒にどうか?」という誘いの電話でした。

自分を半人前扱いするサマセットを招いての食事なんて、気乗りがしないミルズでしたが、仕事終わりにサマセットを自宅に招き、トレイシーと三人で夕食を共にしました。

たわいのない話やプライベートなことを話した三人。 楽しい時が流れ、次第に互いのことを少し理解し合うことができたサマセットとミルズ。

トレイシーがウトウトした頃、サマセットとミルズはグールドが殺された現場写真と資料をもう一度見直し、グールドの妻が保護されている部屋を訪ね、話を聞くことにしました。 現場写真を見せ、普段と変わった所はないか見てもらうためでした。

すると、部屋に飾られていた絵が逆さまに飾られていることに気づいた妻。 二人は現場に向かい、その絵を入念に調べました。

壁から外した絵には異常はありません。 サマセットは必ず何かあると冷静に考え、絵が掛けられていた壁も調べました。

すると、浮かび上がったのは指紋で文字を書きだした "HELP ME" という文字…。
鑑識を呼び、詳しく調べてみると、それは被害者の指紋ではありませんでした。

「こんなの見たことあるかよ?」
「ない…」
二人は犯人が残したメッセージに言葉を失います。

その証拠を基に、ほどなく指紋の人物が特定され、ひとりの容疑者が浮かび上がるのですが…。
《続きは是非本編をご覧下さい》

作品の裏話と個人的な感想 (-∀-)

近年のサスペンス系映画の監督を代表する人物を何名か挙げれば、必ず名前が挙がるであろうデヴィッド・フィンチャー。 本作は既に26年も前の映画ですが、展開や結末を知っていても、何度観ても引き込まれてしまう中毒性があります。

この映画には数々の裏話があります。

映画のオープニング・シークエンスですが、実はフィンチャー監督は別の入り方を考えていました。
サマセットが定年後に住む家を見に行き、電車に乗って帰って来るというのが最初の導入として考えられたシーンだったそうです。 そのシーンは時間と予算の都合が合わなくなり、実現しませんでした。

映画のオープニング・タイトルは、とても不気味で印象深いものになっていますが、このタイトルを担当したのはカイル・クーパーという人物です。

オープニング・タイトルを作るタイトル・デザイナーで、「アルゴ」や「LIFE !」など、数多くの作品を手掛けました。 タイトル・クレジットを撮影したのは、助手のフィンドリー・バンディング。 古いカメラを使い、彼の家のクローゼットの中で撮られたものだそうです。

「七つの大罪」で最初に出て来る "大食" の被害者役はビッグ・ボブという俳優ですが、死体役として出演するため全身をメイク。 その作業は10時間にも及びました。

スパゲッティの皿に顔を突っ込んでの死体役だったのですが、スキューバ・ダイビングで使う器具を口に咥え、チューブで呼吸しながらの撮影だったそうです。 ちなみに、皿に顔を突っ込んでの撮影も10時間ほどかかったそうです。

ミルズ役のブラッド・ピットが、本編の中で左腕を怪我して包帯を巻いているシーンがありますが、これはスタントマンを使わずに自らアクション・シーンを撮影した時に本当に腕を骨折してしまい、まだ怪我をしていないシーンなどはギプスを隠して撮影を続けたそうです。

当初サマセット役はアル・パチーノが候補にあがっていたのですが、別の映画に出演が決まり、モーガン・フリーマンになったそうです。 フリーマンは完璧にサマセットを演じていますが、その高い演技力と存在感が、作品を更に高いレベルに引き上げていると思います。

ジョン・ドゥを演じたケヴィン・スペイシーは「映画が公開されるまで自分が出演していることは絶対に公表しないでくれ」と関係者に話し、観客へのサプライズを狙ったのですが、映画会社のクリエイターが宣伝の際に、うっかりケヴィン・スペイシーの名前を書いてしまい、ケヴィンが激怒したというのは有名な話です。

脚本はこの映画を手掛けたことで有名になったアンドリュー・ケヴィン・ウォーカー。 映画の冒頭、最初に出て来る死体役でカメオ出演しています。

本作でブラッド・ピットとグウィネス・パルトロウが夫婦役で出演していますが、この映画の撮影に入る前から、二人は短い期間でしたが交際していたそうです。

エンドロールに使われている楽曲は、デヴィッド・ボウイの "The Hearts Filthy Lesson" という曲です。 ボウイはワタシも大好きなアーティストですが、作品の雰囲気にとても合っていると思います。

モーガン・フリーマンが「演技のコツ」について語った言葉があるので、その話を紹介します。

「演技のコツは自分を信じること。 自分の状況、環境を信じて演技することだ。 けれど同時に、自分を主張することを忘れてはならない」

ワタシはこの言葉を自らの仕事や生活に照らしています。

傑作と呼ばれる映画が出来るまでには、様々な巡り合わせや過程を経て、多くの人が関わって作品が生み出されます。 監督や俳優が違えば、当然ながら全く違う作品になるでしょう。 この映画のピースがひとつでも違ったら、ここまでの極上作品にはならなかったかもしれません。

この作品を観て、不快な気持ちになる人も多いかもしれません。 けれど、殆どと言っていいほど残酷な描写は無い作品です。

そこがこの作品の恐ろしく秀逸な点のひとつだと思います。

犯人が被害者の命を奪う、その瞬間の犯行シーンは皆無で、常に犯行が終わった後、死体が発見されるところから始まります。 ひとつの犯行から次の犯行へ、点と点が繋がっていくように、どんどん邪悪なものが膨らんでいく感覚があります。

でも不思議なことに、これほど残酷なシーンが少ないにも関わらず、作品を観た後、被害者たちが惨殺されるシーンを生々しいほどに連想させるのです。

残酷描写を極力避けているにも関わらず、この映画は強烈にダークです。 特にラストのオチを巡り、制作段階で賛否両論、やるやらないの綱引きがあったそうです。

人の罪を罰することを我が召命と捉えた犯人の、気が遠くなるほどの忍耐力と用意周到な犯行。
しかし、犯行は余りに利己的で、まるで快楽を求めるための常軌を逸した連続殺人でした。

善悪とは何か? 人間の罪とは?

全てのカテゴリーに収まらない、デヴィッド・フィンチャー監督の代表作品にして最高傑作だと思います。

【スタッフ】
監督…デヴィッド・フィンチャー
脚本…アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
撮影…ダリウス・コンディ
音楽…ハワード・ショア
【キャスト】
ミルズ…ブラッド・ピット
サマセット…モーガン・フリーマン
トレーシー…グウィネス・パルトロウ
ジョン・ドゥ…ケヴィン・スペイシー
分署長…ロナルド・リー・アーメイ
カリフォルニア…ジョン・C・マッギンリー
ビクター…マイケル・リード・マッケイ
《1995年 / アメリカ / R15指定》

第68回アカデミー賞 編集賞(ノミネート)
第22回サターン賞 脚本賞、メイクアップ賞受賞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?