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見返りを求めない。

ボランティア活動って見返りを求めて行うものなのでしょうか?
いまだに正解はわかりません。

だけど、僕のボランティアは、何かしらの見返りを求めていることは気づいていました。
今日は見返りを全く気にせずボランティア活動をした話をしようと思います。

朝7時からの授業の準備をして、時間通りに学校に行きましたが、今日は先生と生徒の会議が一日中行われるらしく、体育はないとのことでした。

教頭先生がすごく謝ってきたのですが、このようにスケジュールが思い通りにいかないことは日常茶飯事なのでもう自分の中では当たり前のことになっています。

帰ることもできたけど、少し前から気になっていたバスケットコートの整備をすることにしました。

結果から言うと、4時間半かかり、まだ作業の三分の一程度しか終わっていません。達成感と、左右の手に水膨れが6箇所できて、午前中の作業は終えました。

正直今のままでも立派なバスケットコートだし、生徒も先生も誰一人気にしている人はいないと思います。

マダガスカル産の大きなスコップでひたすらコートのスペースを広げるために、大地を掘り続けます。やっている自分でさえ、なぜやっているのか、何の意味があるのかわからなくなったけど、とりあえずやってみました。

なぜなら今日の目的な何も見返りを求めることなく、ただひたすら作業するだったからです。

きっと完成したらそれなりに体育の授業もバスケットもやりやすくなります。それだけでいいのかもしれません。

感謝の気持ちは強制するものではないし。
対価を得ることも自分で選択することはできません。
ただひたすら自分がやろうと思ったことをやり続けているといつかいい事あると思って寡黙にやってみます!

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