2023/4/20

今日は天気の良い日だった。散歩をするにうってつけの日だ。こんな日に陰気な室内に閉じこもってはいられない。うずうずしてくる。僕は何も持たないで、散歩に出かけた。

僕は何かを手に持つことが苦手だ。だから何も持たない。何も持っていなければ、狭い隙間だって入れるし、ストレッチしながら歩ける。それをどこかに忘れることもない。

いつそんな狭い隙間に入るのかって?結構ある。例えば本屋。古本屋なんかは棚と棚のスペースが狭い場合があるから、何も持っていない方が便利である。慣れ親しんだ体であるから、どのくらいの隙間でぶつかるか、が把握しやすい。リュックを背負っているとこうはいかない。手ぶらなのは色々と楽である。何かを買って帰るのも楽だしね。

持たないこと、その利点についてはさまざまな偉い人が語っている。less is moreだとか。気をつけないといけないのは、ルサンチマンに陥ってはいけないということ。我々は自分が手に入れることができないものについて、本当は手に入れたいんだけど、それを手にしていない自分を受け入れられないがために、そのものに価値はないと思い込もうとすることがある。それは自分を偽っているだけである。お金とか若さとか名声とかね。そんな人は仮にそれを手にした途端、手のひらを返すように、持たざる者を見下す。

では、本当に必要なものは何で、本当に必要のないものは何か。それを見極めるためには、一度それを手に入れないといけない気がするんだ。未だかつて手にしたことのないものの価値を、どうやって見定めることができよう?想像で?君が無限の想像力を持つならそれに越したことはないんだけど。僕は陳腐な想像力しか持っていないから、未だに手にしたことのないものの価値を認めていない。これは価値がないと言っているわけではなくって、価値を定めることができない、ってことの表明なんだ。

例えば、Aさんが自分の手にしたことのないものを持っているとするね。例えば巨額の遺産とか、金メダルとか、とにかく金ピカなもの。それは一般に価値があるとされているね。持っていると言ったら、ほとんど全ての人が羨ましいというだろう。しかし、ちょっと待ってほしい。僕たちは、それを手にしたプロセスや、それによって引き起こされるかもしれない数々の困難については何も考えていない。それは、自分がそれを未だに手にしたことがないから、なんだね。

散歩の話から外れたけど、別にいいでしょう。


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