卒業文集

お盆に実家に帰省したぼくは、懐かしいベッドの上にあぐらをかいて、卒業文集をパラパラめくっていた。特に意味も理由もないが、久々に眺めようという気になっただけだった。

幼稚園の頃のぼくの文集は無邪気だった。われながらよく書けていると思った。

おおきくなったらだいくさんになってがんじょうないえをつくる。れんがのいえだよ。

最後の一文の意味はなんだろう。なぜレンガの家なのだろう。そう考えたが、ふと、3匹の子豚の影響かもしれない、と思った。そう思うと、当時の自分があどけなく感じられた。子供の頃はたくさん絵本を読んだものだった。まだ、押し入れのどこかに眠っているかもしれない。

そして小学校の卒業文集を開いた。ぼくの文章は、誰がどう見ても問題なく、健やかで、非の打ち所のないものだった。そしてまったくおもしろくなかった。先生や親に媚びへつらった文章だった。

媚びた、とはいったが、ぼくは決して小学校の担任の先生が好きではなかった。むしろ、かなり嫌いだった。厳しい先生で、自分の正しさに絶対的な自信を持ち、生徒を自分の中の良い生徒像に従わせようとしていた。そのころのぼくにとって、小学校は唯一自分が属するコミュニティであり、その支配者である先生に反抗することができなかった。いつも叱られるのではないかとビクビクしていた。その先生の好きなキーワードは、"本音"、"本当の仲間"だった。その先生にとって、自分の気に食わないことは"本音"ではなく、気に沿わない関係は"仲間"ではなかった。それらを"クズ"とまでいった。弱かったぼくは、苦しんだ。そして嘘をついた。その先生の気にいるような仮面を作った。そしてあの文章を書いたのだった。

ぼくはずっといいたかった、あんたが嫌いだ、と。
ぼくはずっといいたかった、仲間なんかじゃない、と。
それがぼくの、決していうことができない本音だった。

今、その先生と会ったとしたら、こう言えるだろうか?
それとも?

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