2023/9/7

"重荷が重ければ重いほど、われわれの人生は地面に近くなり、いっそう現実的なものとなり、より真実味を帯びてくる。それに反して重荷がまったく欠けていると、人間は空気より軽くなり、空中に舞い上がり、地面や、地上の存在から遠ざかり、半ば現実感を失い、その動きは自由であると同様に無意味になる。"

「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ 千野栄一訳


前の日記は4/21だった。気がつけば、4ヶ月以上の間、日記をつけていなかった。そんな暇がなかったからだろうか。それとも飽きたからだろうか。まあ、そんなことはどうだっていいことだろう。しかし、また日記をつけようと思った、そのことについては、多分なりとも今の自分の心境が関係していることだろうから、考えるべきかも知れない。

ときおり、どこか遠くへ行きたい、自分のことを誰も知らない世界へ行きたい、と思うことはないだろうか。ありとあるしがらみを捨て去ってしまう。それは"軽さ"への志向である。自分の存在の"軽さ"、それは、他者を切り離すことで実現される。

誰かに愛されたい、自分の価値を高めたい、誰かをうち負かしたい、と思うことはないだろうか。自分の存在の価値の確認。それは"重さ"への志向である。"重さ"、それは他者を通して認識される。

どちらかというと、今の僕は"軽さ"を求めている。ではなぜ、この日記を書いているのか?それは、"重さ"を捨てきれていないからだろうか?自家撞着に陥ってしまっているのだろうか?そうであれば、極端な"軽さ"、"重さ"を求めた挙句、空中で分離してしまうことだろう。より近いイメージは、ある気体の混合が風船に詰まっていて、それが空中に浮いていて、その気体は、重い気体や軽い気体の混合であり、その比率は常に揺らいでいる。このイメージは一元的であるが、今のところ、これ以上のイメージは見つからない。

「魔の山」の主人公、ハンス・カストルプは、従兄弟が療養しているスイスの高原にあるサナトリウムを訪ねる。その道中の描写では物理的な標高の高さが際立たせられている。重症者から軽症者まで様々な患者を収容するサナトリウムは、平地での生活とはまったく異なる、"軽さ"が支配する世界である。慣れない気候もあって、そこで風邪にかかってしまったカストルプは予定の日程を変更して、長らく療養することとなる。そこでの生活に順応していくカストルプに対して、療養者であるセテンブリーニはこう言うのだ。

「ご存知ですか、エンジニア*、『人生から離脱する』ということを」

「魔の山」 トーマス・マン 関泰祐・望月市恵訳
*エンジニアとは主人公カストルプを指す。


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