7/11/2023

高校の頃、僕は毎日がつまらなかった。受験勉強もつまらなかった。公然とゆるされていた部活にしてもつまらなかった。そしてそのつまらなさを僕はどうすることもできなかった。周りにそのつまらなさをどうしてくれる人もいなかった。

僕は何も考えないようにした。そしてただ音楽を聴いていた。ウォークマンにいくつか曲を入れて。繰り返し、繰り返し、僕はその音楽を聴いていた。誰に共有するでもない、その音楽を。

今でもその音楽を聴くと、懐かしさに涙が溢れそうになる。それは僕が生まれる以前の曲だけれど。でも僕はそれをずっと聴いてきたことには変わらないし、懐かしいと思う権利だってあるはずだろう?あの瞬間の感情や、感動、苛立ちを僕はよく思い返すことができるんだよ。その音楽たちを通して。

今やウォークマンはどこかへ行ってしまった。iPhoneとApple musicがそれに変わった。CDは実家に置いてある。僕らは、繰り返し、繰り返し、それを聴くことができるだろうか?大量の音楽の中で?誰に共有するでもない、その感動を味わうことができるだろうか?

物質、それは相対的に限られている。部屋には高々数十、数百のCDしか収まらない。
情報、それは相対的に限られていない。Apple musicにどれだけの音楽が収まっているかを僕は知らない。

それは無限の可能性を意味すると同時に、無限の軽薄さを意味しないだろうか?
僕はそれを危惧している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?