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随問答(随他意)
以前より『わたしの当たり前』が他者と違うのは慣れていたのですが、あまりにも違いすぎる場合、同じ言語を話しているとは思えず不思議な感覚になります。
さて
タイトルにある隨問答。
これは仏の教え(説法)のことでお釈迦さまが相手の能力に応じてその方の叡智に適した言葉を使って理解できるように答えることです。
これはひとつの問答が全人類にぴったりとは当てはまらないということです。(事例をあげればキリがないので言及しないことにしますが)
これがわたしは大好きで得意なのです。
お釈迦様の抽象度が高い理由は
「苦しむ人々のために何かできないか」
と行動し経験し体感したことによるものです。
話を聞いて説くというスタイルによって生きる知恵を伝授すること。
清廉潔白と邪で怠惰な心を表裏一体でもつ(二面性をもつ)ことがあっても
対極に意識をむけないでおけるなら抽象度が高く、良くあろうと意識するのは抽象度の低さゆえの行動です。
この相対する【心の中の想い】を【外界の対象を識別し認識する心の作用】を【意識】といい、心が知覚を有しているときの状態です。
そして抽象度というものは誰かに教えてもらうだけで放っておいて上がるものではありません。
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