密会の素振り2

「大きなところでいくと趣味は天体観測と登山ですね」
「へぇ、登山か」
「ねえねえ」
彼は何がおかしいのか満面のにたり顔だった。
「人はなぜ山に登るんだい」
もしこの問いが先生の口から聞かれていたら、私は素直に答えただろう。
「なぜ?そう、なぜねぇ、、、」
私はわざともったいつける。
「そんなのは山に登ってみないと分からない」
間髪入れずに私は続ける。
「それは山に登ったことのない人間がしばしば口にする愚問だよ、まるで山に登ることに意味がないと言っているかのようだ。なぜ人は山に登るのか、それは頂上からしか見ることのできない景色があるから」
私はここでお茶を一口飲んだ。
「頂上までの道からしか見られない景色があるから」
私はけれど少し恥ずかしくて皆の顔を見ることができない。
「そのことが分からずに山に登るというのは小学生が算数を学ぶのに似ている。もちろん最初からそのことを理解している人もいるだろうけれど、初めのうちは誰しも右も左も分からないものだよ」
私は益川先生が「なぜ素粒子の道に進まれたのですか?」と問われた時の回答を思い出していた。
「もちろんそれだけが答えじゃないのも理解しなくちゃいけない」
「だから山に登ると?」
「さすがですね」
先生の秀逸な返答には恐れいった。
「しかも簡単に分かるものでもありません。我々は何につけてもすぐ“答え”を求めたがります。けれど世の中本質は大体の場合答えそのものにはないものです」
だいぶ酔いが回ったのだろう。私はついつい饒舌になってしまっていた。
「コンビニでは客の欲しいものは店の奥に、店の売りたいものは入り口の近くに置いてあるものです」
にたり顔だった彼は既につまらなそうな顔になっていた。
それが君の人生そのものだよ、と侮辱したい気持ちを抑えて私はジョッキの酒を再び飲み始めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?