夜の砂糖づけ

「ああ、もう二時ですか」

私は、彼の声で急に現実に連れ戻された。左手には彼のヴァイオリンに添えられていて、彼は私の指先に、しんとした視線を向けていた。暖炉が音を立てて暖かい光をほの暗い部屋に灯していた。

「す、すみません。知らない間に・・・・・・」

「いいえ、いいですよ。私がマリーに頼んだのですから」

暖炉の火を反射する彼の目は不意に細められた。私はなんだか申し訳なく感じてしまい座っている一人がけのソファーの端を握った。

トロールさんは私よりずっと忙しいのに、私が長々と楽器に触れているのを待ってくれていたらしく少し眠たげに声が霞がかっていた。 

彼の長く美しい指がソーサーの取っ手にかかる。ああ、その指は美しい指を奏でる指だ。あの日だまりのような、木陰のような、氷のような、媚薬のような不思議な音を産む指だ。私はそれに気づくとなんだかすごくはしたないことを考えたような・・・それこそ、淑女が考えるようなことではないことのような気がしてすぐに目を逸らした。彼は不思議そうな目が視界の端で揺らめいていた。

「すぐに片付けます」

「そんないそがなくても」

「こんなに・・・・・・こんなに夜遅くまで起きてると、身体に毒ですよ」

私がせわしなく調律道具を片付けていると、彼は紅茶の入ったソーサーにつけていた唇を離していった。

「子供は寝る時間ですからね」

「わ、私ではなくてトロールさんの話です」

「ああ、そうですか、すみません」

私はトロールさんのほうに一切の視線を向けずに声がこわばらないようにいった。

トロールさんは頭のよい人だ。だから、私とも明確に線を引きたがる。私はその線の向こう側で、まるで幼児のように歯噛みするしかない。トロールさんから見たらそれは子供のわがままで、ある一種の力のない暴動で、ヒステリーなのだろうか。持ち合わせている感情は、この子供の身体で抱え込むにはあまりにもほてりを帯びているのに。

(なんて、こんなの結局子供のわがままだわ)

心の端がまるで水に浸けた紙のように、ぼろぼろと零れおちていくのを感じた。恋。この身に過ぎた感情だ。傲慢。強欲。あまりにも、自分の中で朽ちたはずの悪癖が水に濡れた心と一緒に顔を見せる。それは私が心の底から隠しておきたかった秘密だった。けれど、この人に暴かれるならそれもしれでいいかもしれないなんて、思う自分の浅ましさが声を上げていた。朝日が昇れば、私の感情など溶けてしまうだろうと、期待を込めて蝋燭の火をけすのだけれど、朝日が昇ろうと私の悪癖は、感情は、相も変わらずにここにあってゆく日もゆく日も私の心焦がすのだ。

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