修養科修了した初心者が教会に行ってみる。その①

7月から始まったアニメの「逃げ上手の若君」に出てくる護良親王が教服を着た人にしか見えない病気にかかってる。


松井優征先生の漫画はどれもおすすめです

最初の予定だと6月27日に修養科を修了してそのまま教会に行くつもりだったけど職場から戻って来いの圧が凄かったので即地元に帰った。でも教会は行きたかったので月次祭で行くことにした。教会が岐阜なのでセントレアまで飛行機で行くことにしていたのだけれども、7月19日午後からWindows搭載のPCでシステム障害が発生して私が20日に乗る予定のジェットスター各便が欠航になった。乗る予定の便が欠航した経験は学生の時にエールフランスがストライキ起こして行きも帰りも振替で滞在時間が減りスペイン旅行が( ᐛ👐)ぱぁになったときのみ!(もう二度とエールフランス乗らないと決意した)でも今回は格安航空会社の欠航…果たしてどのくらい振替輸送や返金対応があるのか…。と心配していたけど20日は通常通り飛んだ。良かった。岐阜に着いて先生にお迎え来ていただいて教会へ!修養科のときとはまた違った緊張。ほぼ1ヶ月ぶりの参拝なのだけれども早速参拝の順番がわからなくなってた。親神様のあと祖霊様に参拝しようとした。ヤバい。憶えるの早かったけど忘れるのも早い。今日もとにかく暑くて、おつとめ着の試着をしたときに汗がおつとめ着にぽたぽた落ちてかなり焦った。私、お道向いていないなと思うことがあって、着物の扱いが本当に下手。着付けも下手だし畳むのも下手。いつまでも出来ない。日本舞踊をしているときに師範になれば?とか言われてたけど着物の扱いが下手すぎるからなれないと思う。


本部と詰所以外での初めての夕勤だったのでまた色々困惑。修養科中詰所では神殿まで段差がなかったので今回が初めての段差有りの神殿でのおつとめになった。どのタイミングで教祖、祖霊様に拝をするのかわかんなかった。修養科中は「段差があるつもりで練習しろ」と言われていたけど全然練習してなかったと思い知った。あと教服を着るときと着ない時の違いって何?夕食も大人数賑やかおしゃべりタイムだったので困惑オブ困惑。私、一人っ子でいとこもいない上に実家のお食事タイムは誰も話さないので賑やかな食卓にビビる。修養科中詰所もあんまりお話ししてなかったし。それにしても天理教のご家庭ってお子さん多いなあって思う。素晴らしい。
今回は月次祭と年祭があるんだけど、年祭のときのこと全く考えていなくてTシャツとゆるいズボンしか持ってきておらずここにきて焦る。てっきりおつとめ着のままかと思っていたのだが…。ハッピを着るとのことだけれどもその下は…?喪服を持ってくるべきだったのか!?と焦り。聞いてみたら何でも好きなもので良いと言われた。子供達は学校の制服着てるから便利で良いなあと思った。自分が中高生のときは何でどこ行っても制服なの!って思っていたけど今思えば制服便利すぎて欲しいよ。月次祭の座りづとめで私は前半を高井主任先生と一緒に地方、後半は三味線をした。おつとめ着苦しくしちゃったし暑いしで途中から意識が飛んでた。初めてだったので色々迷子になったりしてミスした。恥ずかしかった。今日の神殿講話は初代や先人が信仰を始めた経緯を知ることによって自分の信仰の道標になるというお話だった。よく歴史なんか勉強しても意味がないという声を聞くけど今回のお話でどうして歴史を勉強しないといけないのか改めてわかったように思う。教会一つ一つに歴史があって、どんな経緯で教会が始まってどんな方針で信仰しているか教えて欲しい。

ところで以前から天理教の七不思議という文言を聞くのですが全部の内容知りたいので教えてください。修養科にいるときに教祖伝を勉強して思ってたけど教祖がお隠れになったあとの天理教の歴史も知りたい。初代が信仰をはじめた経緯を勉強するというお話だったけどもし私の孫や曾孫が勉強するということになったら「お節会でお餅食べて声かけられたから修養科に行ったのが始まり」って話さないといけないの?ちょっと嫌かも…。
神殿講話で高井先生の第二専修課時代のお話を聞いたけど怖かった。さすが天理教の自衛隊。続きに五年祭、年祭は修養科中に本部で三代真柱様の年祭が初だったけど早退したので結局ほとんど知らず。今回は祖霊様参拝に驚いた。まとまってグループで参拝するんだね。時間が短縮されるから良い。昨年親戚の葬式で焼香中に私の目の前に座っていた喪主が殴られるっていう珍事件を思い出して、平和な参拝で思わず心の中でほっこりした。
その後の直会で高井先生に隣で地方一緒に出来て嬉しかったと言われたので泣きそうになった。修養科のときにお世話になっていた詰所の主任先生ご夫妻ともお会いしてお話をしたらまた気づきがあって、修養科終わってからずっと自分のことでいっぱいいっぱいで人救けのことは考えてなかったなあと思った。おさづけもほぼしなくなっていたし。修養科中はお道の人しかいなかったから気軽に出来たけど下界に降りるとおさづけさせてほしい!と思っても躊躇う。そんな話をしたら、手を振ることは出来なくても背中を摩ったり手を握ったり救かってほしいと気持ちを込めることが大事だと教えてもらった。

私はお金が好き。金遣いも荒い。人生で一番不安なことは金に困らないかということ。私の中で金に困らないっていうのは値段を気にせず日用品を買ったり外食をできるってこと。お節会のときにお世話になった占い師さんも今回来ていらっしゃったのでまたお話聞かせてもらおうと思って「私、お金に困らないですよね!?」って言ったら、「一円玉の裏には何が描いてある?」と言われ「???」ってなった。なんか植物が描いてあったのは覚えてるけど何かって言われたら何かわからない。「お金が好きなのに分からないってことはお金を見ていないってこと」と言われ、あーなんかここで色々と思い出すんだけど私っていつもこーなんだよね。人にしても物にしても好きって言う割にはちゃんとそれをみてないっていうか。いや!私の理想はお金に困らない生活だからお金を眺めずに使ってさよならしたいんだけどー!って思ったら、それ人間関係にも同じことを思ってそうで勝手に自分にショック受けてた。


神殿にあったこの椅子便利すぎ


ところで「ビールはしんせんばにあるのが冷えているよ」と言われ「????????」となった。新鮮場?と思ったけど、神饌場ってことですよね?確認してないけどそうですよね?
高井先生やほかの参拝者の皆さんもお帰りになられて、スケジュールが全て終わって片付けてるときにどっと疲れが出てきた。大したお手伝いしてないけどこんなに疲れた。教会を運営していくのって大変だなあと思った。
今回一番悩んだのが御供について、月次祭と年祭が同じ日にあるときっていくらくらいが妥当なのでしょうか。お気持ちって書いてあるの、気持ちなら私100円とかしか入れないよ!!!!!
社会人生活していた時は取引先や会社の関係者の葬儀は香典3,000円固定にしてたけど。あと表書、何て書いて良いかわかんなかった。
お道、修養科以外のこと全然わかんなかった…。

公判に続きます。


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