美女楊貴妃と彼女を中心に巡る混乱の歴史

「長恨歌」で称賛される楊貴妃は、古代中国の美女としてその名を刻んでいる。元々は玄宗皇帝の子の妻だったが、彼女の魅力にとりつかれた玄宗は楊貴妃を宮中に迎えた。彼女への愛情は深く、玄宗は政治を顧みず、楊貴妃の家族を重要な位置に据えるようになった。

そんな中、楊貴妃の親族と官僚、そして安禄山との間で権力争いが起こる。これが元で、安禄山の乱という大きな反乱が勃発。この反乱により、長安という大都市は荒廃し、かつての繁栄は影を潜めた。「春望」の詩の中で描写されるような、国が崩壊する光景が現れた。

楊貴妃は中国の歴史において「4大悪女」の一人として挙げられることもある。しかしそれを冷静に考えると、彼女自身が大きな過ちを犯したわけではなく、彼女を巡る男たちの争いや堕落が原因だった。真に国を混沌とさせたのは、楊貴妃の家族や安禄山のような人物たちだったのかもしれない。

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