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20200116「捨てられないもの」

どちらかと言えば物に執着はしない方。
大変恐縮ながら友人からのプレゼント等も、十分に使えば感謝を込めつつ処分するし、思い出系も割と捨ててしまうのだけれど。
ああ、本だけは別です。それはまたいつの日か書くとして。

私は、「高校生の頃に父親から貰ったドイツ土産のマフラー」を捨てられないまま持っている。

例えば高校生では手の出ないブランド物だったとか、とても流行りのデザインでお気に入りだったとか、何なら好きなデザインだったとか、全然、全っ然そんなことはないのだけれど、どうしても捨てられなくてアラサーの今まで取っておいている。
赤白黒の模様のマフラー。

正直おしゃれセンスは母親の腹の中に忘れて来たような人間で、さらに性質が悪いことにさして興味も無い(社会人として恥ずかしくない最低限の服装を心掛けているくらい。雑誌も読まない)というパターンなので、そのマフラーをおしゃれにつけたりすることは出来ない。
高校生の頃は良かった。
制服と奇抜なマフラーというのは案外相性が良い。
が、OL服には中々ハードルの高い色合い。
普段着にも上手く合わせられない。

それを、ずっと持っている。

父は私に甘かった。
第一子で女の子だったこともきっと関係しているのだと思う。弟も妹も出来て、どうしたって小さい子たちを可愛がりがちだけれど(小さき哺乳類は可愛いので致し方ない)、どういうわけか父はずっと私に甘いような気がする。
勘違いかな。
多分そんなことはない。

母が厳しい人だったので、元々そんなに父に対して反抗期もなく、父とも仲が良かったので、「唯一貰ったお土産」というわけでもない。
1年に1度も身に着けないこともあったし、捨てようと思うこともあるのだけれど、何となく捨てたくないような気持ちになって、いつも収納ケースの奥深いところに入れてしまう。

厳しかった母から物を買ってもらった記憶はあまりなくて、中学生の頃に学校の皆が持っていた洋服と同じお店で買ってもらった唯一のセーターも、同じようにずっと捨てられずに25歳くらいまで取っていたが、思い切って捨てた。毛玉だらけでとてもじゃないが外に着ていけるようなものではなかったし、部屋の中でそれを着ることもなかった。それでも、ずっと持っていた。
あれは多分執着だった。
「流行りの店で母が買ってくれたセーター」は、中学生の頃の私が執着していたもので、従姉妹からのおさがりの服ではないそれが、当時の私にとってはとても大事だった。
これを無くしたら、友達の輪からはみ出てしまうのではないかと思っていた。次に同じ場所で服を買って貰える日はいつかわからない。だから絶対に手放すわけにはいかなかった。
今考えてみれば、仲良くしてくれていた友人たちは、絶対にそんなことで私を仲間外れにしたりはしなかっただろうと思うけれど、もっと外側にいる人たちの目を気にしていたのだ。

大学生になってアルバイトをして自分で服くらい買うようになっても、それを手放すことを恐れていた。
社会人になって秋田赴任が決まった時も持って行った。
当然、ずっと袖を通してなんかいないのだけれど、捨てることが出来ずにいた。
でも、ある時ふいに、いい加減これを捨てないとあの時の私が可哀想なままだ、と思えた瞬間があって、いくつかあった「小学生の私がお気に入りだった服」と「中学生の私がお気に入りだった服」はその時に全部捨てた。
ちょっとだけ泣きそうになったけれど、心が軽くなって、すっきりした。

そういう執着とは違うのだけれど、どうしても捨てられないのが、父から貰ったマフラーなのである。
一緒に捨てようと手に取って、結局それだけ捨てなかった。

父は絶対に母には勝てなくて、子どもながらに「父にお願いしても母を突破できなければ無理」なのはわかっていたので父におねだりすることも諦めていたが、たまに買い物に一緒に行くと、そういう状況をわかっていたからこそなのか、こっそりお菓子を買ってくれた。

そんな父から貰ったドイツ土産のマフラーは、父としても特段思い入れのあったお土産というわけではなかったと思う。あまり覚えていないけれど、弟や妹にも珍しく物を買ってきていた。
そうして、私に買ってきてくれたものが、マフラーだった。

繰り返すが、ブランド物でなければ流行りのデザインでも好みの配色でもない。
何の変哲もないようなマフラーである。

ただ、だからこそ、流行に左右されることも、ブランドを比べられることもなく、「これドイツ土産なの」とちょっと違うところに置いておけたことが、私をこの上なく安心させていた。
絶対に手放せなかった母が買ってくれた流行りの服とは違う、私を少しだけ強気にさせてくれるアイテムだった。

今はもちろん、自分の好きなものが買えるし、そもそも流行に乗れないことを何とも思っていない。流行には興味があまり沸かない。着たい服を着る。父がくれたマフラーは、私の好みではないので、出番はほぼない。

でもきっと、魔法みたいに私を前へ向かせてくれたこのマフラーは、ずっと捨てられない。

これを着けている時の私が、周りに左右されずに前を向けたこと。
その気持ちがとてつもなく心強くて、一生忘れずにいたいと思う。

ただし。
このマフラーをつけて浦和駅周辺を歩いていると、レッズファンに絡まれる率が異様に高かったことだけは、未だマイナスポイントである^▽^


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