【聖書を読み解く その2:イエスの人物像】


先日、ホームレス支援の広域連絡会のミーティングに参加させていただいた時のこと。
「酒井さん、ホームレス支援で必要なことは何だと思いますか」と聞かれ、衣食住の確保だと答えた。

「確かに、それも大切です。しかし、最も大切なことは、彼らが自分の手で、それらを得られるようにすることなんです。彼らは、与えられることを嫌がるんです。人としての尊厳を失うような気がするのだと」

この話しを聞いて、とても恥ずかしく、顔が真っ赤になった。
わたしは、親切のつもりで彼らの右の頬を打っていたのだ。


よく、イエスの職業は大工だったと書かれている。
確かに聖書には、父ヨセフの職業であった大工をイエスも継いだということが示唆されているが、その姿は、わたしたち日本人が想像する大工の姿とは大きく異る。

わたしたちが「大工」という職業からイメージするのは、家を作り上げる、あの大工である。棟梁であったり、大工の源さんであったり。
木材文化が色濃い日本において、木材を取り扱う大工は、決して卑しい仕事ではない。高度な技術を必要とする誇り高い職業であり、その社会的地位も比較的高い。

しかし、イエスと、その父ヨセフが生業とした大工は、違うのだ。
これは、聖書を英語へ翻訳した際に発生した間違いが原因と思われる。
英語への翻訳は、ギリシャ語で編纂されたいわゆる七十人訳が原書となっている。そこでは、父ヨセフの職業は「家を建てる人」と書かれていた。
英語へ翻訳された際に、「家を建てる人」は「Carpenters」へと訳され、その言葉が日本語では「大工」となった。
確かに、日本で家を建てる人といえば大工である。しかし、木材ではなく石材で家を建てていた古代ユダヤでは、家を建てる人といえば石工職人だったのだ。
事実、聖書で描かれているのも、ヨセフとイエスが大工として家の土台基礎を造っている場面だけで、木を切っている場面や家具を造っている場面などは描写されていない。

つまり、父ヨセフとイエスの職業は、木材を取り扱う大工ではなく、石工職人、それも家を建てる土台の石を石切り場から切り出す、石工の人夫だった可能性が高い。
そういえば、聖書ではイエスが罵倒されるとき、「食意地の張った、薄汚い酒飲み」という言葉が使われている。
普通に聞くとなにやら強突張りのように聞こえるが、毎日、わずかなお金のために粉塵にまみれながら重い石を背負い、引きずりながら運んでいる姿を想像すると、ちょっと違った姿が浮かび上がってこないだろうか。
金がないから常にお腹を空かせていて、その日の疲れを明日に引きずらないよう、お酒をグッとあおって眠る。わたしも以前、道路工事のアルバイトをしていたことがあるので分かるのだが、強い酒を飲んでから寝ると体の疲れが取れるのだ。
父ヨセフは、イエスが成人に達する前に死んだと言われるが、それも過酷な労働と絶え間なく吸い込む粉塵によって、早死したのであろうと思われる。

わたしたちがイエスの姿を想像する時、真っ先に浮かんでくるのが、ルネサンス時代のきらびやかな絵画や像として描かれたイエス。
そこには美しく華やかな衣をまとい、可愛らしい天使たちが空を舞う、鮮やかなイエス像がある。

しかし現実のイエスは、汚塵にまみれ、その日の食事にも困るような困窮した生活を送っていた。
そして、だからこそ彼は、貧しく虐げられた人々の痛みをわが事のように共感することができた。
神の国はあなたたちのために開かれているのだ、人としての尊厳を失ってはならないのだと、彼らに語りかけることができた。

象徴的なエピソードがある。
それは「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」という有名な言葉。
これまで、この話はその前後のエピソードと合わせ、旧約聖書に記されている「目には目を、歯には歯を」という報復の連鎖は、これを止めなければならないのだ、という解釈がなされてきた。

しかし考えてみて欲しい。あなたの目の前にいる人の右の頬を、右手で打つにはどうすればよいか。
そう、あなたは右手の甲で相手を打たなければならない。
これは、当時も今も、相手を同じ人間とは見なさず、侮辱する表現とされている。

つまり、イエスが言いたかったのは、「もしあなたが人として扱われないような仕打ちを受けたのなら、きちんと人として扱うように主張しなさい」という事なのだ。
あなた方は世間から疎まれ虐げられているが、それでもあなた方は人間なのだと主張して良いのだよと、イエスが彼らを励ましているエピソードなのである。

どうだろう。
これまであなたが想像していたイエスの人物像が、少しづつ変わってきたのではないだろうか。
そして、イエスの集会に集ったのはどんな人たちだったのかも。

自らも貧しさに苦しみながら、それでも、自分と同じように苦しんでいる人たちを自分の痛みのように受け止める、
繊細でいて、激しい炎のように怒りに燃えるイエス。
彼は、人々に何を伝えたかったのだろうか。