18歳歌舞伎町でホストやってみた
というわけで歌舞伎町で一旗あげる事を決心した僕達はちょうど見つけたオープニングメンバー募集の張り紙に釣られて面接へ
煽てられて札束見せられて夢を見せられて入店決定
源氏名も決めた。僕はタツヤでヤマトはヤマトにした。
1ヶ月の研修を経ていよいよオープン!!
100万円稼ぐ18歳になるんや!!!
と意気込んで、来る日も来る日もシャンパンコールに明け暮れる日々。
自慢じゃないが当時歌舞伎町で1番シャンパンコール上手かった気がしている
ただ頑張ってもやっぱり18歳。努力の仕方もわからず売れるわけもなく日払い2000円をもらってしのぐ日々
2000円内訳
・煙草320円
・飯500円(だいたい松屋)
・1000円ジャグラーチャレンジ
と苦しい日々が続いた。
どうしてもお金がない時は売れてる先輩についていき飯を食わせて貰うか、闇スロで打たずにカップ麺とおにぎりを食い漁っていた。
若いという事もあり先輩には可愛がってもらっていたが肝心の女の子には可愛がってもらえず。遅刻も増えてきて給料もほとんど罰金で消えるようになってきた。1年ほど過ぎた頃、プツンと何かが切れて飛ぶ事を決心。
って事でホストタツヤは1年間で幕を閉じた
ちなみにヤマトは僕より先に気づいたらいなくなっていた
1年間だけだけど高校で部活をやってこなかった僕達にとっては、上下関係のルールや気の配り方含めいろんな事を教えて貰えたし、なにより(あー自分全然大した事ないんだな)という事を知れとても成長できた1年間だった。
ちなみに当時の社長は今YouTubeでちょっと有名になりつつあるあの人
今までの人生で会った人の中であの人が1番すごいオーラだったなと思ってたけど、今の活躍を見てるとやっぱりすごい人だったんだなと最近は何故か自分ごとのように誇らしくなっているじょいです
次回、地元に帰る
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