結婚を考えた時

 結婚するまで私の人生というのは、ただなんとなく生きてきました。高校卒業後は浪人をして、専門学校は卒業しましたが、その後ニートをして、フリーターをしてきました。出来るだけサボっていられる肩書を求めていたようにも思いますが、どれも何年か続くと息苦しくなっていくものです。

 フリーターの頃の生活は貧しかったけれど、やっと霧が晴れていくようでした。私の実家は裕福な方で、なに不自由なく過ごしてきました。けれど恵まれ過ぎていて、幸せを実感する能力を奪われていたようでもあります。父は歯科医師であったので、患者さんからいただいたケーキが家によくありました。幼い頃の私にはそのケーキの甘さは欲しいものではありませんでした。たまにでいいのです。そして冷蔵庫では、メロンが腐っているような家でした。いまから考えるともったいないと思うのですが、あの家に居たらケーキもメロンも食べたいと思わなくなってしまうのです。

 友人たちに比べ、恥ずかしいと思ってしまうほどの贅沢さは、私には必要ありませんでした。それがわからないまま、ようやくあるのが当たり前ではなくなったフリーターの時が楽しかったのかもしれません。

 しかしそのフリーターも年齢と共に、居心地が悪くなっていったのです。いつかは社員にと、派遣社員や委託社員、そして正社員になろうとしていた研修期間中に、母が亡くなりました。研修中ということもあり、長期の休みは取れず、また無職になりました。

 私は父も亡くしていたので、帰る場所もなくなりました。

 人生、計画もなく、よくもここまで生きてこれたものです。想像力が欠落していたのでしょうか。それともそんな生き方が出来る時代だったのでしょうか。

 三十半ばに差し掛かるというのに、結婚に対しても真剣に考えたことはありませんでした。メルヘンチックなことを言ってしまえば、運命的な人に出会っていなかったのです。そう言い切れるのは、夫であるつーさんの存在があるからです。

 つーさんとは初めて結婚したらという未来が見えました。そのきっかけになったのはフェレットでした。そうです、あのイタチのように胴の長い動物です。

 つーさんは一人暮らしをしていた頃、ただ生き物が好きだったのか寂しかったからなのか、ハムスターを飼っていました。とにかくペットを飼うのが好きだったようで、誕生日間近につーさんはフェレットをプレゼントして欲しいと私に言ってきたのです。生き物のプレゼントなんてよく思っていませんでしたし、ペットを飼うこと自体が嫌でした。たまに実家で飼っていた犬の世話をするのでさえ面倒に感じていましたから。

 ペットの大変さを伝えましたが、つーさんの意志は固く、結局私が折れてしまい数日後にはペットショップでフェレット一匹を選び(後にもう一匹飼うことになるのですが)、ゲージや餌や砂などの一式もすべて一度に買って帰ったのでした。その行動力はオタクらしくもあり、頼もしいものでした。

 つーさんはフェレットにとても献身的でした。どんなに疲れて帰ろうとも餌とトイレの掃除は忘れることはなく、休日にはゲージ内が快適になるようにと試行錯誤を繰り返していました。その姿を見ていれば自然と子供が出来たらこんな風に接するのかもしれないと連想していたのです。その時はなんとなく感じ取っていたことですが、後にこのことが私の中で核になっていたのは間違えありません。

 もしも子供好きな人を好きになっていたら、それは想像しやすかったことでしょう。けれど私はそんな健全的な人に惹かれることはありませんでしたから。子供ってかわいい、などと言う人より、二次元の嫁グッズを愛でる人に魅力を感じていましたから。


 つーさんが私との結婚の話を進め出したのは、母が亡くなった直後でした。
 そして私が子供のことを考えたのは、結婚が決まってからです。すぐに産んでも高齢出産になるのですから、悩んでいる暇もなかったのですが。これまでの人生、こんなにも唐突に大きな選択肢はやってきませんでした。目の前に、子供のいる人生 or 子供のいない人生という文字が現れ、そのどちらかを選ばないと次のステージにいけないゲームのようでした。

 考える時間は少なかったですが、胸に漂っている予感のようなものがありました。これは子供のいる人生を選んでみるべきだと。

 三十代半ばにもなると、楽しめるものに限りが見えてきていました。面白いと思っていたマンガやアニメが以前と同じように楽しめなくなっていたりと。大好きで通っていた秋葉原も特別に行きたい理由もなく、いつものパターン化された遊び方でしか出来なくなっていました。興味を持てることの範囲が広がらなくなったことに気付いていました。好きなものに対しての興奮度、熱意が下がっていることも寂しく感じていました。

 これまではなにか面白そうなものを見つけては、興奮して楽しむ、ということをしてきました。もう私には、ひとりで興奮して楽しむには限界年齢がきていると思っていました。これから先は、まったりと楽しむはずだと。五十代、六十代になった私は、ある程度のパターン化された生活の中にいるのだろうと予想出来ました。そしてもし、歳を取っていく生活の中で、潤いを与えてくれるものがあるとしたら、それは子供なのではないかと。

 また、私の夫となろうとしている人は、十も年下で、普通に考えたら私の方が先に逝ってしまいます。そうなった時、つーさんはひとりネットゲーム三昧になってしまうでしょう。いや、それも悪くないですね。でももし、地球上につーさんを想ってくれる人を残して逝けたら? なにをしてくれるでもなくとも、ただ想ってくれる人を。その日がきたら、私は思い残すことなく逝けるのではないかと。

 

そんな理由から、私はつーさんの子供を産んであげたいと決めたのです。

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