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はちの一枚

引き継がれしモノ。

それは、親族代々・・・かどうかは定かではないが、少なくとも、私で持ち主が3代目となる、朱色の火鉢。・・・いや、踊らないよ!?ステップ踏まないよ!?ステップ踏んだら、絶対足がもつれて、ころん・・・いや、なんでもない。今日の主役は、火鉢だ。

最初の持ち主は父の伯父さん。私との関係は大伯父さんだ。私が出会った時の見た目は「おじさん」ではなく「おじいさん」だった。若い頃は夫婦で海外を周遊していたらしく、午後14時から15時にかけて、どこへ出かけていても、必ずコーヒータイムを設ける、どのお店に行っても、食事後にシェフにお礼を告げる、エレガントなふるまいをする人だった。

でも、自宅にいる時は、低い椅子に座り、キセルで煙草を吸い、灰を隣の火鉢に落として、また煙草を楽しんでいた。耳が遠かったので、テレビを大音量で流していた。余裕の構えである。
まだ幼かった私は、両親に連れられて家へ行き、ひと言ふた言、大伯父さんと会話を交わし、別室にあるパットゴルフの練習マットで遊ぶのがこの家での楽しみであった。

初代から2代目へ。

火鉢には、鉄瓶が置いてあり、いつでもお湯が沸いていた。そのお湯でお茶を、コーヒーを飲みながら、広い世界の話をしては、時々大笑いして、いつも笑顔多めの穏やかな顔をしていた。

大伯父さんは、ものすごく長く生きてから亡くなった。
火鉢は、大伯父さんが家のモノを整理していた時に、父が譲り受けてきたようだった。ようだった、というのは、ある日実家に帰ったら、火鉢が階段を登りきった2階の広いスペースに置いてあったからだ。

一目で分かった。あの家にあった火鉢だ。大伯父さんの隣にいつもあって、どんな日でも、大伯父さんの相手をしていた火鉢だ。その火鉢を、大伯父さんが手放そうとしていたところを、父が引き取ってきたらしい。
「捨てるのはもったいなかやろ。俺がもらっていくたい」
おそらくそんなことを言って、家に連れてきたのだろう。

2代目から3代目へ。

火鉢を持って帰ってきた父だったが、火鉢の中はずっと空っぽだった。そして、父は、なぜかこの火鉢の他に、もう一つ火鉢を家に連れて来ていた。紺色の火鉢で、どこからどういう経緯でやってきたのかは不明だが、こちらも中はずっと空っぽのままだった。

結局、多趣味な父は火鉢を楽しむまでに至らず、中は空っぽのまま、いつぞやの正月の帰省の時に、私の旦那に話を切り出した。火鉢はいらないか?と。父が旦那に話をしていた時は、私は母の手伝いで台所に立っていた。洗い物をしていたのではないかと。

「ねえ、火鉢いる?」
旦那が振り向いて、台所にいる私に向かって聞く。
「え?なに?ハチ!?やっつけてよ!」
「ひ・ば・ち!」
「ちょっと待てぃ!」
こっちは正月のご馳走を食べた後の片付けで忙しいんじゃい!と言いそうになるのをぐっと抑えて、洗い物を済ませて、父と旦那と3人で2階へ上がる。
「俺は結局何もせんかったけど、お前んところがせっかく一戸建てやけんな、どうかいなと思ってな」
どういう理由よ?わけ分からん。と思ったものの、そこから一晩考えて、捨てるのはもったいないから、もらって帰ろうという結論に至ったのである。うん、親子だわ。

撮った!

その火鉢がわが家に来てから、我が家でも数年は中が空っぽだった。なんなら、その上に荷物がどんどん積まれていった。
だが、数年前に事態は動き出した。お米農家をやっている友達と稲刈りの話になり、うちに火鉢があるよという話をしたら、使いよらんと!?せっかく持っとるなら、使いんしゃいよ!灰は分けてあげるけん!と、とんとんと話が進んで行き、稲刈り後、友達が藁灰を持ってきてくれた。それを火鉢に入れて、旦那と火鉢の思い出を語っていたが、火鉢の進化はまたそこで止まった。

そこに火が入ったのは、今年に入ってからだった。
晩ご飯に悩んだ私は旦那にメールを入れた。晩ご飯は何がいい?と。
「火鉢で焼肉🍖」
きっぱりとメールにそう書いてあったのだ。え?なになに?なんで火鉢なん?何か新手のストレス解消法か!?

いろんなことを想像していたら、旦那が帰宅して、おもむろに火鉢とバーベキューコンロを外へ出して、コンロで炭に火をつけて、火が付いた炭を火鉢に入れ始めた。・・・いや、バーベキューコンロ出してるんだったら、そのままそこで焼肉でよくね!?でも、旦那は嬉々として火鉢で焼肉を始めたのだ。なんのおまじないよ・・・。まあ、お肉美味しいけどね。

ツッコみどころが満載の焼肉を終えて、火鉢はわが家のリビングに迎え入れられた。ソファに座って、炭をつついてみる。優雅に座っていた大伯父さんの姿が頭に浮かぶ。いいなぁ。今シーズンは火鉢にチャレンジしてみようかな。

という記事を書いていたら、旦那からメールが。
「五徳、注文したよ」


記事を書くための栄養源にします(^^;)