「メデイアという真実ー今に生きるジャニー喜多川」ー本当に「性加害行為」という問題なのか?


何が問題だったんだ?

一九五二年、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の日系人が、アメリカ西海岸のエンターテイメントの世界に触れ、それを引
提げて来日した。ジャニー喜多川である。
彼は駐日アメリカ大使館で通訳をする一方、野球チーム「ジャニーズ」を作り若者の心を掴んで行く。野球チームはダンス活動
へと広がり、一九六二年四月「歌って踊れるタレント」育成を目指しジャニーズが結成された。
一九六八年デビューのフォーリーブスに始まり、一九七〇年代は郷ひろみ、川崎麻世、一九八〇年代には近藤真彦、田原俊彦が
草創開拓期を形成して行く。同年代シブがき隊、少年隊によりアメリカ進出を達成、光GENJIなどは社会現象ともなる。その後も男闘
呼組、忍者、SMAP、TOKIO、V6、KinkiKids……時代を象徴するスターを生み出して行った。
そのJ-POPを形成して行った立役者の一人とも言えるジャニーズ創業者ジャニー喜多川は二〇一九年七月九日亡くなった。
問題が大きく報じられたのは、二〇二三年三月イギリスBBCがジャニー喜多川に拠るジャニーズ事務所タレントに対する虐待問
題を扱った番組「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」が報じられたことで火が点いた。
週刊文春も過去の記事を公開、取材を再開、記事を掲載して行く。以来多数の虐待被害者の告発が続き、ジャニー喜多川による加
害問題・傷害行為が表面化することになった。
一見、海外メデイアによる報道が全ての発端であるかのように見えるが、実は遥か昔、六〇年前には問題がくすぶり始めていた
。一九六〇年代に行われた民事裁判では、ジャニー喜多川による未成年男子に対する猥褻行為に言及し、証言も存在したが、当時の
日本では問題になることはななく、極一部のメデイアが報道するにとどまった。
不正義存在の疑いがあれば、それを発信し、一人でも多くの人々に認識させる意義は極めて大きいと考える。悪が存在すること
はもちろん許してはならないが、それを放置せず、発信し、一般社会の人々が認識するに至る作業を行うことはより重要である。ジ
ャニーズの存在自体の公共性を考慮すると、大半のメデイアが報道しなかったなどということは言語道断だが、一部とはいえ、メデイ
アが報じていたことの意義もまた見逃すべきではない。つまり、海外メデイアに頼ることなく、問題発生当初から、日本にも良識あ
るメデイアが存在していたという証になるからである。
一九九九年、週刊文春が「芸能界で多大な影響力を持つジャニー喜多川氏がスカウトした未成年男子に対して優越的立場を利用
し、性器を弄んだり、肛門性交するなどの虐待をしていた」と報じている。ジャニー喜多川とジャニーズ事務所は記事は名誉棄損で
あるとして民事訴訟を起こしたが、東京高裁はジャニー喜多川の虐待を認定し、名誉棄損には当たらないという判決が確定している

不可思議なのは、NHKを含めたテレビ各局がこの判決を全く報道していない事実である。

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朝日、毎日、中国新聞が小さく記事にしたのみで「虐待の事実があった」という事実認定そのものを詳しく報道することはなか
った。メデイアの大半がジャニーズ事務所に配慮し報道しなかった事実は恐怖であるとさえ言える。大半のメデイアは社会的責任を
放棄し、マスメデイアとしての存在価値そのものが問われるべき問題なのである。
二〇二三年三月、大きくクローズアップされることとなったジャニー喜多川による虐待・加害行為は、先ず、一九九九年の大半
のメデイアによる報道放棄に関する謝罪から始めるべきであるとも言える。
発生してしまった重大事件を故意に放置し、隠蔽した大半のメデイアの責任が問われずして、今日まで続いた虐待・傷害行為の
みを問うことは、将来に禍根を残す。つまり、報道しなかったメデイアもまたジャニー喜多川の共犯者だったということである。そう
考えずして何故良識あるメデイアを選択する自由が読者にあると言えるのか。
私は加害者を擁護したメデイアの存在こそ被害者を孤立させ、その後のジャニー喜多川に代表される、立場を利用した加害行為
に拍車をかけ、被害者に精神的障害を生む原因を作って行ったと断じたい。最も罪が重いのはNHKであろう。
次に問題となるのは性加害行為とは具体的にどういう行為を指すのか、この事件は性的な事件と位置付けていいのか、という問
題である。私は題名以外、性加害行為、という言葉を使うのを控えてきた。
私は被害者には三つの大きな圧力が働いていたと考える。一つ目の圧力は雇用者と被雇用者の主従関係から発生する不均衡によ
る弱者への圧力である。二つ目の圧力は避けがたい状況下に於いて、ジャニー喜多川が行った被害者が不快と感じる全ての行為であ
る。三つ目の圧力はジャニー喜多川が発した言葉、その後のあらゆる人々が発っした言葉である。
特にネット社会が進化を遂げ、自由に発言する機会を得た個人による言葉による加害行為である。言葉が力を持ち、被害者を窮
地に追い遣って行ったのである。
被害の内容が具体的に公表されること自体が、被害者にとっての心的な負担となり、セカンドレイプを生み出すことに繋がって
行く。
加害者、被害者、第三者、それぞれに真実が存在し、真実は一つではないことを認識することが重要なのだ。特に、被害者と加
害者では真実は百八十度異なることを理解しなければならない。同時にジャニー喜多川などが行った行為が性加害行為と呼ぶに相応
しいのか、単に加害行為、不法行為、傷害行為と呼ぶべきものであるように思う。
そもそも性加害と呼ばれる行為を行うものの心理とはどのようなものなのであろうか。百科事典などを紐解けば、性加害者の心
理は、一般的な性的満足を求めるような性欲とは異なり、性を通じた他者支配、他者攻撃であるとされる。そして、加害者は問題と
ならないような相手を選んだり、見ず知らずの者よりも知り合いに対する暴力となるケースが多いとされる。発覚しなければ反省す
ることもなく、加害行為自体を否定する傾向にあるというのだ。

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明らかに優越的地位を利用した弱者に対する暴力と判断できる。
 性という概念を介在させることにより、問題を特別視し、複雑にし、卑猥さを強調するよりも、暴力行為、傷害行為、更には殺人
行為として捉え直すべきだ、これはまた、言葉によるセカンドアクションについても同様である。
閉塞状態を作り出し、立場を利用した暴力によって、個人が悩み、苦しむ状況を解放できるのもまた言葉である。何よりも被害
者個人に寄添い、孤立させてはならない。

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